- 特集 力のある教材で「道徳」授業を変える
- 提言・特設「道徳」教育の功罪を問う
- 道徳教育と特設「道徳」の限界
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- 半世紀の歴史から何を学ぶべきか
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- 「猫に小判」ではいけない
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- やはり心情主義は問題だ!
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- 集団づくりなくして道徳は育たない
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- 「正しく、善く生きる」人生指針を真っ当に教えるべし
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- 戦後の特設「道徳」教育論争はどう展開されてきたか ―道徳時間「特設」による道徳教育「歪曲」の構図―
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- 愛国心と基本的人権の尊重は両立するか
- 愛国心教育と基本的人権教育は両立する
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- 「自由な個人」の「選択」という道徳学習観の誤り
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- 「道徳」教育の内容として何をおさえるか
- 子どもが身につまされるもの
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- 道徳教材の八〇パーセントを廃棄する
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- 今の世の中だからこそ再度提案する!
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- 「色眼鏡」を外せば見える
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- 力のある教材で「道徳」授業を変える―小学校
- 教師もやってみたくなる道徳授業
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- 「けんけつ」で助け合いの心をはぐくむ
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- 自分で感動した資料を再構成して力のある資料と授業をつくりだす
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- 「力のある教材」の三つのレベル
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- 力のある教材は子どもたちに意志と誇りを強く訴える
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- TOSS道徳の主張を具現化し続ける
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- 力のある教材で「道徳」授業を変える―中学校
- 一時間だけで生徒の心は動かない
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- 「ジロジロ見ないで 普通の顔を喪った9人の物語」を授業する
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- 『教室がシーンとなる…』は「力のある資料」の宝庫である
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- 生物学的な「生命」と物語としての「いのち」
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- 「授業批評の力」を鍛える (第12回)
- 授業思想
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- 授業を変える学習集団づくり (第12回)
- 学習の個性化と学習集団
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- 校長が学校を変える (第12回)
- 三つの話題が問うこと
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- TOSS授業技量検定受検のドラマ (第12回)
- 島根にあたらしい星の誕生!
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- 続・TOSS授業技量の検定 (第12回)
- NHKテレビ、TBSテレビ、読売新聞が取材に入った
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- なぜ検定外・算数教科書を創ったか (第12回)
- 授業勝負に強い先生、並びに教員養成大学・教職大学院を考える
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- 編集後記
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■編集後記
◯…昭和三十二年七月、当時の松永文相によって道徳教科特設の意向が示されたことを契機に、その是非をめぐる論議が広く研究者、教師の間で展開されました。その論議をめぐって、藤田昌士氏は単に「道徳」の時間による道徳教育は有効か否かという方法的現実にとどまらず、国家は道徳教育の主宰者たりうるかという問題、つまりは国家(公権力)と道徳教育との関係、またいわゆる「人間尊重」の精神とはなにか、つまりは公教育機関としての学校における道徳教育の目標を何に求めるかという問題など、より基本的な論点を含むものであった、と整理されています。(『日本教育論争史録・第四巻』より)
◯…あれからすでに半世紀。いまや「心のノート」なる副読本まで公費で子どもたちに配布される時代となりました。他方、「愛国心」を要とする道徳教育の強化を求める発言や「基本的人権の尊重」を中心とする民主主義道徳を主張する提案などが出されています。
◯…また、日本教育学会特別委員会が「近代民主主義政治のもとで、個人の自由と良心の問題である道徳とその教育について、公権力が一定の方向づけやわくづけをすることが、はたして妥当であるか」と問いかけたことも忘れられません。
◯…問題は、特設「道徳」時間における道徳教育の目標や内容でしょう。しかも「道徳」の時間においては、なるべく児童生徒の具体的な生活に即しながら、教師の一方的な教授や単なる徳目の解説に終わることのないように、と言われながら「道徳」の授業がマンネリ化しているという批判も出ています。
◯…「道徳」教育は時代とともに変わるのでしょうか。「道徳」教育の内容として何をおさえるべきなのでしょうか。本号は「力のある教材」発掘、導入で「道徳」授業を活性化させたいとする特集です。
〈江部 満〉
◯…日本の人口が、さしたる理由もなく減ったのだそうです。最近は少子化対策として育児環境犯人説が俎に乗っていますが、先般までは、「産む産まないは自由論」が脚光を浴びていました。
たしかに環境も大事でないとは思いませんが、いやなら産まなくて済むよう、科学技術を駆使したのも人間だし、まさしくブーメラン現象なのではないか、と思えます。
「先の戦争」(名称ぐらいきちんとしたいものです!)も、占領軍に「大東亜戦争」という呼称が禁止され「太平洋戦争」となったからといって、独立後も「太平洋」が幅を利かせているのも、気概がない話という気もします。
それにしても、「先の戦争」で、アジアの民衆に多大なる御迷惑をかけたのを何よりも優先する人々の多くが、「太平洋戦争」呼称派であることも面白い現象です。
アジア重視なら戦争をしている時の名称「大東亜」の方がふさわしいだろうに…と思ったりします。
今年は、目先のものだけで論ずる、品格のない仕事の一掃を心がけたいと思っています。
〈樋口雅子〉
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- 明治図書