- 特集 「教えること」の復権・何が課題か
- 提言・「教えること」の復権・何が課題か
- 「教えて考えさせる」という原点から授業を見直す
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- 学校・教師の「権威」と「教えること」の復権
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- 子どもの学びを「支える」こと
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- 子どもに欲求される教えることの創造
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- どこで何をどのように教えるか 教材研究、授業設計を基盤にして
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- 子どもの「理解」―授業中に確認する手だて・国語の場合
- 「本時の学習指導案」の改善―「PLANDOCHECKACTION」を位置付ける―
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- 「指示」が通っていなければ、授業が成立しない。「指示」通りやれているか「確認」して笑顔で「評価」する
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- 授業中の子どもの理解と指導―すぐ追試できる四つの場面―
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- 子どもの「理解」―授業中に確認する手だて・算数の場合
- 子どもの理解と考えは評価活動を駆使して
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- 新要領対応「全員習得型学習」はテンポのよい作業指示・確認で成立する
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- 「わからない」ことを表現できる子に育てる
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- 子どもの「理解」―授業中に確認する手だて・社会の場合
- 確認の手だての中心は「ノートを持ってこさせる」こと
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- 優れた教育技術を身につけ使いこなす
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- 知識・技能・思考などを含め、総合的に個々の子どもの理解をとらえよう
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- 子どもの「理解」―授業中に確認する手だて・理科の場合
- 子どもの学習活動を指導に直結
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- 細かな確認作業を授業中に何回も行う
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- システムと授業技量が重要である
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- 「教える」ときの注意と工夫
- 子どもにわかる「教える」技術
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- できるだけ説明をしない
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- 「既知」を教えず、「未知」を教える―有田実践『追究する授業』から学ぶ―
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- 「考えさせる」ときの注意と工夫
- 言語活動に集中させる―国語科の場合―
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- 「考えさせる」には、「ゆさぶり発問」が効果的!斎藤喜博、有田和正、向山洋一各氏のゆさぶり原理を取り入れる!
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- 書かせることが考えさせることである
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- 教育再生への課題―現場の問題点 (第10回)
- 韓国の熱心な先生に導かれ、光州でTOSSセミナーを実施
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- 教師の「道徳教育実践力」を育てる (第10回)
- 授業をどのように構成し、進めるか
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- 新学習指導要領をどう解釈するか (第10回)
- 高校教育のあり方―共通必修科目をめぐって―
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- 免許更新制の課題 (第10回)
- 更新制と教員養成大学の在り方(その2)
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- 〜教職課程のカリキュラムをめぐって〜
- 戦後教育は終わった (第10回)
- なぜ「勤評は戦争への一里塚」なのか
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- 「教師力」とは何か (第10回)
- 現職教師の研修と力量形成
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- 編集後記
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編集後記
○…『教育委員会月報』昨年七月号の巻頭論文「新学習指導要領―中教審教育課程部会における議論から」と題する木村孟氏(前教育課程部会長)の重要な論文が目に止まりました。『平成十年の学習指導要領は中教審での議論を受けて「基礎基本の徹底」「体験的・問題解決的な学習活動の重視」「個に応じた指導」「総合的な学習の時間の創設」「選択の幅の拡大」の五つのポイントを目標として掲げた。これ自体はバランスの取れた合理的な目標であったが、教育の現場では二番目以下のこれまでの初中教育になかった新しい目標への対処に追われ「基礎基本の徹底」という教育本来の役割が忘れ去られてしまった』と総括し、現場では「個に応じた指導」という目標に接し混乱が見られたとしていました。
○…そのため現場では「教え込みはよくない」という考えが流布し、繰り返し学習が行われなくなり、宿題の量も減るという事態が生じた、としています。中教審の「学習指導要領等の改善」の答申でも「子どもの自主性を尊重するあまり、教師が指導を躊躇する状況があったのではないか」とし、「自ら学び自ら考える力を育成する」という学校教育の理念は、日々の授業において、教師が子どもたちに教えることを抑制することではなく、「教えて考えさせる指導の徹底」をし、基礎的・基本的な知識・技能の習得を図ることが重要だ、と強調していました。
○…市川伸一氏が著書で述べられているように「教えるべきことをきちんと教える」ことに反対する人はいないはずです。問題は、その「教え方」の工夫が十分なされているか、ということでしょう。特に、子どもにどれだけ理解されているのかを授業の中で確認する手だてが取られているか、となりますとまだ不十分といえるかもしれません。本号は「教えること」の復権にともない、その問題点を一点に絞り特集を組みました。
(江部 満)
○…「ベルセベ、ないしベルセベスって、ご存知?」と友人にメールしたら、「何かまた新インフルエンザ?」との返事が。
実はこれ、スペインの超高級食材。
日本でのお名前は、亀の手
先般出かけた屋久島で、私も、初体験したのですが、それがまさか、幻の食材とは、知らなかった!
お陰で?現地ではありがたみを感ずることなく、「変な動物ね、亀の手とはよくぞ、つけたものね」なんて、御託を並べていました。
もちろん、お味など、まったく記憶なしですが、「珍味よ。一度食してみたら」と某所で「神の手」、いえ「亀の手」に再会。
そうなると、現地で食したときとは全然、まったく?違う食感…?!
友人には、「そうやって、デコレーション情報に振り回されていると、公私ともに、リーマンブラザースになるのでは…」と言い放され、帰路の北風が、ことのほか身にしみる羽目に。
(樋口雅子)
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- 明治図書