現代教育科学 2011年6月号
道徳の「教科化」を提案する

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現代教育科学 2011年6月号道徳の「教科化」を提案する

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ジャンル:
教育学一般
刊行:
2011年5月9日
対象:
小・中
仕様:
A5判 115頁
状態:
絶版
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目次

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特集 道徳の「教科化」を提案する
提言・道徳の「教科化」を提案する
貝塚 茂樹
道徳の「教科化」・私はこう考える―提言を読んで
残された施策はこれしかない
菱村 幸彦
道徳は教科になり得るか
無藤 隆
現在の道徳の時間の特質を生かした特別教科「道徳」を!
押谷 由夫
道徳教育の充実を目指して
山極 隆
「教科化」に踏みこむときが来た―方法は歩みつつ考えよう―
野口 芳宏
道徳的他律の教育からは自律の道徳は望めない
荒木 紀幸
「教科化」はしたけれど……
長野 藤夫
道徳の「教科化」に賛成 早急に実現を
槇田 健
小学校の道徳教育をどう改善するか
「教えてほめる」ことで、道徳も教育していく必要がある。教えることで、道徳的実践力は、必ず上がる
甲本 卓司
生き方を伝える教材の開発と指導と一体化した教材の開発が必要である
吉田 高志
釜石市教育委員会の「津波防災教育のための手引き」に学ぶ
椿原 正和
教師の実感を込めた道徳授業を
山中 伸之
感動のある授業を! 郷土愛、愛国心の授業を!
高橋 恒久
中学校の道徳教育をどう改善するか
道徳教育の改善に必要なもの
岩ア 淳
学んだことを「実践」する場を、教師が演出せよ
長谷川 博之
心の発達は、学校生活や集団生活の中で自動的に起こらない
向井 ひとみ
地道に心を耕し、中学校の悪しき伝統である「先輩と後輩の関係」に正面から切り込む
染谷 幸二
道徳教育推進教師への期待
三つの役割でチームを引っ張れ!
安野 功
道徳教育未だ校門を出ず 保護者・地域を動かす発信基地
上田 保明
道徳教育推進教師に期待するその役割と楽しみ
藤村 公三郎
「道徳の時間」を拓く・教材の開発
「行動」の領域に働く教材が必要だ
松野 孝雄
自分のふるさとを誇れる「郷土愛」の授業
戸井 和彦
まずは一〇五時間分の授業を共有化しよう
渡辺 大祐
先人に学ぼう
松原 大介
「教えて考えさせる授業」をめぐって (第3回)
なぜ「教えて考えさせる授業」なのか
市川 伸一
〜子どもと授業の実態から〜
若い教師への期待 (第3回)
東北地方太平洋沖地震を目のあたりにして
大森 修
教師の読み書き (第3回)
くどく、しつこく 3
宇佐美 寛
TOSS流・学校づくり論 (第3回)
東日本大震災に学校はどう対応したか
向山 洋一
「公意識教育」のあり方を問う (第3回)
教育活動全体を通じての道徳教育とは
長尾 彰夫
編集後記
江部 満樋口 雅子

編集後記

○…道徳は学年が上がるにつれて指導が難しくなると新聞で報道されていました。今春から新学習指導要領が小学校から順次、完全実施されます。しかし、道徳教育への取り組みは冷ややかだ、との批判が出ています。

○…本誌で「道徳教育のこれからの課題」を連載中の貝塚茂樹氏は、その最終回で「道徳の『教科化』の論議を盛り上げよう」と呼びかけています。(本誌三月号)第一に、戦前までの「修身科」に対する負のイメージが根強く影響している。学問的検証を欠いたイメージ先行の議論こそが「修身科=悪玉論」を形成し、道徳教育に対する「思考停止」をもたらした元凶である。徳目(道徳的価値)の押し付けはいけないという今日の短絡的な風潮を生み出す要因となっている。第二に、現在の道徳教育の形骸化と「思考停止」を招いている根本的な要因は、修身科や教育勅語という歴史的な課題に正面から向き合ってこなかったことにある。と、強調されていました。

○…続いて、挫折した「修身科」復活の試みなどを分析し、修身科的な直接的な方法が極度に軽視され、道徳的知識(徳目)を「教える」ことが無条件で否定されてきた。しかし、道徳的知識(徳目)を「教える」という道徳教育の本質から目を叛けて道徳教育が機能するはずはない。半世紀以上の時間と実践を重ねても「道徳の時間」が修身科を超えることができないのはそのためだ、というわけです。

○…貝塚氏は、修身教育の功罪を冷静かつ実証的に分析・検討し、道徳の「教科化」をタブー視することなく真摯に論議しようと呼びかけています。本号は、貝塚氏の呼びかけに応え、道徳の「教科化」を改めて問う特集を組みました。

(江部 満)

○…「いい言葉を言えば水がきれいになる」という道徳実践が、小社の書籍にあると批判されることがあります(すでに削除してます)。葡萄栽培などでモーツァルトを聞かせると、いいワインが出来るともいいます。音が何らかの効果をもたらしているのでしょうか。しかし、いくら何でも、水がいい言葉と悪い言葉を聞きわける?とも思えないのですが、葡萄がモーツァルトとバッハの違いを聞き分ける?となると、水もと考えてしまう方もありそうです(私は今のところ、信じられませんが…)。

 そんなことを考えていた矢先、謝金を払うからと古ぼけたセーターを着ることが出来るか聞くと、多くの人はOKする。が、このセーター凶悪犯人が着ていたものだというと、着る人がぐっと減る。実質的に同一のものなのに、心では同じものだとみなすことが難しい。ヒトの脳は、そこにはない「何か」を否応なしに感じてしまうものだと、池谷裕二先生はいいます。

 「脳は冷静な費用便益分析器≠ナはない。心の設計図は合理的な思考の副産物として超自然的な推論を好む―ヒトは可愛らしい生き物」なのだそうです。なるほど。

(樋口 雅子)

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