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今月のメッセージ
五月を実践の秦スタート期紳に
常任委員 浅 見 慎 一
新年度がはじまって一ヵ月。いま、あなたの実践意識はどこにありますか?
早くも学級・学年が「壁にぶちあたって」いるかもしれませんね。「こんなはずじゃなかった……」ととまどい、悩んではいませんか?
いいえ、出会った子どもたちの状況がどんなに大変でもよいのです。問題は、実践者である私たち自身の意識のあり方なのです。
だいたい、四月の実践が「思うように」進まなくてもよいのではないでしょうか 問題なのは、「意のままに」というその実践思想のほうです。事実、私自身も一昨年度の転任したての六年生との一年間は悲惨でした。出会いの感覚のズレにもとづく実践のあせりが、そのまま二学期以降へともつれ込んでしまったのです。あとから思えば、出会いのそのときこそ、力まず、決めつけず、ゆったり受け止めるべきだったと反省です。
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そこで、子どもたちとの出会いの一ヵ月を、自己点検してみませんか?
たとえば、指導の言葉(子どもたちへのメッセージ)が「〜ねばならない」調に陥っていないでしょうか。とかく、進級したての子どもたちを前にして「もう○年生になったんだから○○できるはず」というように、お仕着せの尺度をもって強迫的な観念を押しつけがちですから。
また、指導の方向(子どもたちへの行動要求)が「追い込み型」になっていないでしょうか。四月当初からの目まぐるしいスケジュールのなかで、教師自身があせりを感じてしまうと、「早く!早く!」と子どもたちを追い立て、追い込むだけの効率主義の管理的な指導になってしまいますね。
その結果、指導の成果(子どもたちの行動の変化)を性急に求めすぎていないでしょうか。子どもの変化はゆっくりなのに、指導したことがすぐにプラス行動にならないと気がすまないのではやっていけません。学級や学年のトーンを一気に盛り上げたいと思うと、実践が空まわりするのが落ちです。
思うに、四月の一ヵ月は、教師と子どもとの関係も、子ども同士の関係も「慣らし運転」の時期ではないでしょうか。何となくようすや事情がわかり、何となく落ち着く場所ができれば、それでよいのではないでしょうか。
そういう意味で、五月をもって実践の、秦スタート期紳と考えたらよいとおもうのです。ようやくこれから意図的・意識的な指導を開始すればよいのではないでしょうか。
たとえば班づくりにしても、私は、四月の一次班では班長も決めずに寄り合い所帯感覚の「班生活」をだいじにし、五月の班替えのころから班長を互選し、具体的な班長指導を開始すればよいと思っています。
子どもとの対話にしても、これから少しずつ集団的な視点を入れ込みながら、評価したり要求したりすればよいでしょう。学級の討論・討議も、なぜそうするのか、そのねらいを意識しだす一歩を踏み出せばよいのではないでしょうか。
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いよいよ「新教育課程」の全面実施となりました。「総合」「総合」と追い立てられてきた現場は、またまた文科省大臣の「学びのすすめ」やらに振りまわされています。学校間競争も現実化するなか、おそらく四月の職場は大混乱ではなかったでしょうか。
職場づくり、学校づくりの視点からも、四月の一ヵ月を振り返りながら、五月を実践の秦スタート期紳にしていきたいと思うのです。
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