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今月のメッセージ
対話のある世界
常任委員 栗 城 順 一
対話とはたんに教育技術の問題ではなく、人間が社会のなかで生きていくうえでもっとも重要な側面である。人間社会は対話なしには、平和的に生きていけない。対話のない社会は管理主義を生み、暴力を温存させる。
目の前の子どもたちをみると人と語り合う、対話する身体が奪われているのを感じる。子どもたちが人と語り合う、対話する身体が奪われつつあるのは、現代社会の構造そのものに問題があるが、具体的には子どもたちの目の前にあらわれるおとな(親、教師も含めた)の子どもたちへの不適切な関わりがそうさせている。
おとな社会に対話のない社会が進行している中で、子どもたちはそのおとな社会から対話の大切さを学べないでいる。いまや対話のない社会が蔓延しているともいえる。
対話のある世界とは、平和と民主主義の世界でもある。対話が成立しているというのは、互いが人として尊重されている関係が成り立っているからであり、それは民主主義社会の土台である。対話のある世界を構築していくことが、今こそ求められる時代はない。
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わたしの職場にいらしたA先生のクラスは、四月はじめから落ち着きのないクラスだった。トラブルが絶えず、いじめも見られた。
しかし、二学期も半ばを過ぎた頃から学級も落ち着きはじめ、子どもたちの表情も変わってきているのを感じた。A先生の実践を見ているとなにか取り立てて目立った実践をしているようすもなかった。何が子どもたちの変化をつくりだしているのか不思議だった。行事活動も授業もあたりまえにやっているように見えた。しかし、子どもたちはA先生の世界に入ってきていた。
ただ、A先生は子どもの話をよく聞く先生だった。休み時間に子どもたちはA先生のところによく話をしにくる。傍らで聞いているとその内容は、学級の中でのいじめの話だったり、勉強の話だったり、喧嘩のことだったりしていた。その時のA先生はまったくといっていいほど聞き役に徹していた。ただ「そう」「それから」「そうすれば」と相槌を打つだけだった。子どもたちはなにか安心して話しているように見えた。
喧嘩の話のとき、最後はどうまとめるのかA先生の話に耳を傾けていたが、A先生は「何も語らず」じまいだった。「それでいいじゃない」というだけであった。子どもも「そうだよね」と言って行ってしまった。それだったら、別に先生に話しにこなくたっていいのにと思った。
わたしは「あ〜、これだな」と考えさせられた。子どもたちが語り合う、対話する身体が奪われているのは、聞いてもらえる他者(聞き手)が不足しているからではないか、だから、安心して語れる他者(聞き手)を発見したとき語りはじめるのではないか。
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子どもにとって、教師は安心して語れる他者(聞き手)になっているのだろうか。子どもにとってしゃべりたくなるようなおとなに教師はなっているのか。教師のしゃべりすぎはないのか、しゃべりすぎは支配的ですらあるのにそれに気づかないのは教師だけではないのか、そんなことに気づかされたA先生だった。
子どもたちがしゃべりたくなるようなおとな(教師)になりたいものである。それが安心感のある学級、環境をつくる。子どもたちの世界に「客観性」「方向性」をもたせる意味でも友だちとは違うおとなの聞き手としての教師の存在は大きい。
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- 明治図書