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今月のメッセージ
今、子どもたちの声を聴き取れる親・教師になるために
常任委員 齋藤 修
「先生、わたし幸せになるね」
M子はこの言葉を残して学校を去っていった。
二年生の時に母親と別れ、兄姉と共に本校にやってきたM子は、転入当初から激しく荒れ続けた。話し掛けても下を向いて黙り続け、授業中も廊下に出てみんなの体操着や上履き袋を放り投げたり、トイレに閉じ籠もったりと担任を困らせ続けていた。
四年生になるとM子は運動面で優れたちからを発揮し、ドッジボールやポートボールではクラスの中心になって活躍するなどクラスの中に居場所をつくりだしていった。
六月の国語の時間にM子は次のような作文を書いた。
「私が大切にしているものはお母さん。今は会えないからがまんしてます。でも、会いたいです。いつか会いたいです。お父さんにはないしょで夏休みに電話します………」
父親から母親に会うことや電話をすることを強く禁止されていたが、父親に内緒で母親に電話をし、運動会の翌日に会う約束をした。そして、その喜びを日記で伝えてきた。
「運動会が終わったらお母さんに会えます。お母さんとくらせるかもしれません。他人のいない家でくらしたい………」家には、父親と交際している女性がやってくるという。
私はひたすら聞き役に徹した。それしかできなかった。聞き手不足の中で育ってきたM子は話しながら言葉を取り戻し、母親への思いをさらに募らせていった。
運動会の翌日に母親と会ったM子は、一緒に暮らしたいという思いを一生懸命に母親に伝えていった。そして、その思いを受け止めた母親は将来一緒に暮らすことを約束したが、それまでは我慢してほしいと。M子はこの約束を信じたが待てなかった。教室でも落ち着きがなくなり、あれほど大好きだったポートボールにも意欲を示さなくなった。四年生の子どもにとって母親との約束を父親に黙り続けることは、つらいことであった。
一〇月のある日、ついに自分の思いを父親に訴えた。父親は激怒し、母親と再び会うことを禁じたが、その思いを押さえることはできなかった。M子は父親とケンカをして、夜の10時頃に家を飛び出し、近くの真っ暗なガソリンスタンドの中で母親が連れに来るまで、両手には着替えをいっぱい入れた紙袋を持ちながら一時間待ち続けた。
この日から三日間、M子は学校を休んだ。そして、M子の思いをしっかりと聴き取った母親はすぐに引き取ることを決意し、暴力的な父親と冷静に話すためにファミレスで会うなどできる限りの努力をした。当初、母親と会うことすら許さなかった父親は、母親の強い決意とM子の思いを跳ね返すことはできず、親権を母親に譲った。
M子の一途な思いが大人たちを動かし、その思いを聴き取った大人たちがM子の最善の利益のために動いた。
転校の手続きのために母親と一緒に学校にやってきたM子は、「お別れ会」に参加して、次のような言葉を残して学校を去っていった。
「わたしはこれからお母さんと暮らすことになりました。名字も変わります。みんなと別れるのはさびしいけど、お母さんと暮らせるのはうれしいです」
私が「M子、幸せになれるといいね」というと、「先生、わたし幸せになるね」と、満面の笑顔で答えてくれた。
今、子どもたちは自分たちの声を真剣に聴き取り、それに応えてくれる大人を求めている。
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- 明治図書