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今月のメッセージ
集団発展の見通しとは何か、大いに議論しよう
常任委員 栗城 順一
『子ども集団づくり入門』(以下『新入門』)発刊後、子ども集団づくりをめぐってさまざまな角度から議論になっています。研究団体として、大変良いことだと思います。
今、現場の先生方が強く求めているのは、目の前の子どもをどうとらえたらいいのか、実践の見通しをどう持つのかということではないでしょうか。裏を返せば、子どもをなかなかとらえられず、実践の見通しが持てずに、「その日暮らし」になっているのが現場教師の実状なのかもしれません。
だから、「現場教師の根源的不安は、その見通しのなさからきている。だから、目指すべき『集団像』とそれに向けた『見通し』こそ、現場教師は願望している」「目の前の子どもの困難性と格闘していて、それこそ『その日暮らし』で疲労困憊しているからこそ『見通し』が必要である。」という意見が出てくるのだと思います。
集団づくりは、見通しを持って実践しないと実を結びません。ですから、「子ども集団づくり」の提起は、集団指導をめぐる見通し論の提起でもあるのです。しかし、それがなかなか現場教師におちていない? とすると、それはなぜなのか、検討していく必要があります。
「集団の発展段階という見通しがあればこそ、その時の情勢や子どもの変化に応じて実践家が書き換えていくことができる」のであり、「めざすべき集団像が描かれることは必要であり」「次にどんな指導が求められるのかをイメージして実践をすすめていくことができ、集団を高めていく際の指針になる」と、めざすべき集団像と集団発展の見通しの提起を期待していたにもかかわらず、『新入門』では、「それがわかりにくい」「見通しが見えにくい」「見通し論を放棄したのか」という意見が出されています。
しかし、『新入門』では、「もともと、教育実践は、目の前の子どもたちの生活現実を土台に、同僚や保護者との関係(共同)のありようや、地域社会の実状などを踏まえて展開される。だからこそ、教師の指導性や集団の発展像も、定型のモデルがあるのではなく、共同化の取り組みの具体的な展開に応じて多様かつ個性的なものとなる」と、めざすべき集団像と発展の見通しの必要性を述べています。
研究者の方からは、「集団には個人の発達とともに相対的に固有の発展法則がある。……。集団の発展は『個性的なもの』であるが、モデルという認識(集団の発展をモデル化する)は、それらを抽象化・普遍化したものである。だからこそ、個々の実践の違いを超えて、私たち教師は見通しを持って実践できるのではないか」という意見を述べ、「モデル」化?の必要性を説いています。
それぞれの地域の実状や子どもの現実の違いによる「子ども集団づくり」実践の多様な発展の方向性を認めつつ、それを「抽象化・普遍化」した集団の発展段階をどう立てていくのか、「モデル」化していくのか、いや、集団の発展段階など立てられるのかどうか、「モデル」化できるのかどうか、大いに議論していきたいものです。
実践というのは多様かつ個性的なものであることを前提にしながら、めざすべき集団像と集団の発展を、実践を通して明らかにしながら、それを「抽象化・普遍化」するとこうなるのではないかというものをみんなで提起し、大いに議論してみてはどうでしょうか。
あまり、抽象論にならず、実践がイメージできる言葉で議論が進められれば、集団指導の見通しが創られていくのではないでしょうか。
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- 明治図書