生活指導 2009年5月号
集団づくりへ“はじめのいっぽ!”

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生活指導 2009年5月号集団づくりへ“はじめのいっぽ!”

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2009年4月8日
対象:
小・中
仕様:
A5判 123頁
状態:
絶版
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目次

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特集 集団づくりへ“はじめのいっぽ!”
特集のことば
集団づくりへ“はじめのいっぽ!”
井本 傳枝
みんなで決めるわけ
小学校/ルールとマナーを大切にして
宮本 誠貴
中学校/合意形成を大切に
柏木 修
なぜ、班をつくるのか
小学校/運命は変えられる
溝部 清彦
中学校/班は安心と成長の拠りどころ
佐藤 くみ子
班長たちへの指導
小学校/リーダーとしてのやる気と自覚をていねいに育てよう
伊藤 弥
中学校/学級集団の豊かな発展を目指して
田邊 一馬
学び合いを学ぶ
小学校/5月は学び合いを学ぶ教室づくりの第一歩
徳井 裕子
中学校/みんなで学ぶとわかるし、楽しい
川辺 一弘
学年づくりの手はじめ
小学校/学年教師のチームワークで子どもたちの交流と自治を
浅見 慎一
中学校/学年づくりと学年教師集団づくり
中川 拓也
第2特集 新学習指導要領を乗り越える〜読み解く視点〜
新学習指導要領の特徴と問題
競争的自立観の矛盾と混迷を超えて
折出 健二
道徳教育と各教科の問題
新学習指導要領がめざすはカルト国家か
藤井 啓之
「学力」と指導の問題
学力の三層区分と強制の指導論の問題点
子安 潤
「伝統と文化」の問題
「宗教的情操」論の退潮と「伝統と文化」の可能性
高橋 陽一
今月のメッセージ
生活点からリアリティー創出に向かう対話を!
赤羽 潔
私の授業づくり (第2回)
小学校〈道徳〉/ほんとうの友だちになれたかな?
奥山 正代
中学校〈道徳〉/道徳の模擬授業から
伊辺 エツ代
〜副読本をどう生きた教材にするか〜
実践の広場
子ども文化の世界
ネットゲームの世界
上村 文隆
貧困・格差と子どもたち
みんないっしょ なかよくしよう
伊藤 均
学級のイベント
皿回し大会からお化け屋敷大会まで
石井 幸雄
学年・学校行事
みんなで創ろう、楽しい誕生日会
生末 朗
部活動・クラブの指導の工夫
地域スポーツクラブと学校づくりを結びつけて
武田 良広
職員室の対話
「グチ・弱音・甘え」そして自立へ
相模 伊保子
手をつなぐ―親と教師
保護者とつながる…保護者回覧ノート
木村 芳紀
私が教師を続けるわけ
こうして、今まで教師を続けてくることができた。
白野 淳
若い教師のメッセージ
子どもたちから幸せをもらう
久保 ゆみ
案内板 集会・学習会のお知らせ
教育情報
習熟度別指導で学力が伸びるのか?
山本 理絵
風の声―この人に聞く
「人間好き、自分好き」な子ども、青年に
三上 満
読書案内
『新版データで読む家族問題』
子安 潤
読者の声
3月号を読んで
集まろう!若い教師たち (第1回)
“装い・きまり”雑感
平野 真穂
〜あなたはどう思いますか?〜
地域生活指導へのアプローチ (第1回)
学童保育と関わって
木村 静
全生研第51回全国大会案内
編集後記
井本 傳枝

今月のメッセージ

生活点からリアリティー創出に向かう対話を!

指名全国委員 赤羽  潔


革ジャンを着て、鎖をぶら下げ、腰をくねらせながら歩くA子さん。整髪料で髪を固め、逆立て、輝かせ、高音の優しい響きのある声で、真顔で語りかけてくる。「キックボクサーになりたいんです!」と。彼女の『夢』だという。だから、ボクシングジムのある近くに就職をしようと考えているという。「その会社はとても人気があって、千人ほどの応募者があるそうなんです。採用予定者は数人なんです。でも、一次試験受かりました。書類選考ですけど。もしかしたら、本当に採用されるかも……!」

こう語る彼女の表情は、真顔に満面の笑顔。甘える子どものような瞳は、きらきらと輝いている。まるで自分の夢が現実になったかのような、笑顔と瞳の輝き。それが現実となったら素敵だと、私も思う。だが、特別、これといってスポーツをしていたわけでもない彼女。キックボクシングサークルに入ってはいたが、おしゃべりのほうが多い数人の「仲間」とちょっとサンドバッグと触れ合っていた程度。『夢』を語る瞳は輝いている……が、それを追求する身体はできていない。就職についても、応募はしたが応募内容に対応する知もわざも育っているとはいいがたい。

『人』の『夢』は、時として『儚さ』(はかなさ)ともなる。彼女の革ジャンと鎖は、夢見る者の現実衣装であり、夢への現実窓口でもある。「八〇〇tのバイクに乗って走りたい。風を切って!」という言葉に乗って瞳は輝く。さっそうと走る自分に向けられる周囲の熱い視線への想い。それを受けとめ、髪をなびかせ、笑顔で走る自己イメージ。それが、瞳の輝きを支えているようである。

そんな彼女に、私は語りかけた。「バイクは気持ちいいよね!」「でも、かなり危険だよ。狭い道路で、煽られるときもある……」「排気量が大きくなると、身体がおいていかれるときもあるよ」「えっ、バイクのったこともないの?」「五〇tでもスポーツタイプで格好いいのもあるよ」「あなた、けっこう似合うかも!」……このような語りの終盤、彼女の表情は大きく動いた。「五〇tのバイク? いいですね、それ。私でも似合いますか?ああ、夢がだんだん現実味を帯びてきた!」と。数日後、就職試験は受からなかったとの報が届いた。そこから、彼女は、現実の中で一歩を踏み出していく。


見田宗介は言う。今は「バーチャルな時代」が臨界点に達したときである、と。ここには、戦後精神史をめぐる構造規定がある。まずは、六〇年頃までを「理想の時代」とし、そして七〇年代前半までを「夢の時代」、さらにはポスト高度成長期の九〇年代前半までを「虚構の時代」とする整理である。そしていま、仮想世界に居直った「バーチャルな時代」の中で生のリアリティーへの飢えが充満し、それが臨界点に達したのだ、と(「リアリティーに飢える人々」(朝日新聞、二〇〇八・12・30)。

さまざまな矛盾に侵された人格危機は、なるほどその論に符合して受けとめることができる。人と人とのつながりの中で現実を見つめ、理想に燃え、夢を語り、未知の世界を構想しながら歩むことが阻まれている。それどころか、先の見えない中で怖れだけが膨らみ、破裂しかかっている……それが今かもしれない。だとすれば、A子さんの無邪気さも、かけがえのないワンステップなのかも。

もしそうだとしたら、私たちが改めて踏みしめるべきは『生活』という概念。生活が生活でなくなった時、人は人としての足場を心身ともに喪っていく。その実証の中に、いま私たちは立っている。ならば、単純に、共にかかわり生きる喜びをこそ、この現実の中で感じ取り、語り合いたい。乳幼児からお年寄りまでの発達の幅が、歴史を創る生活のリアリティーでもあろうから。そう考える。

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