教育オピニオン
日本の教育界にあらゆる角度から斬り込む!様々な立場の執筆者による読み応えのある記事をお届けします。
今見直したい! 学校での合理的配慮
熊本大学大学院教育学研究科教授菊池 哲平
2024/2/1 掲載

私立学校でも合理的配慮の提供が義務に


 障害者差別解消法の改正により、2024年4月1日から民間事業者においても合理的配慮の提供が義務化されます。既に行政機関等においては2016年4月の法律施行当初より義務化されており、公立学校や教育委員会は行政機関に含まれますので合理的配慮の提供は身近なものと受け止められるようになってきました。2024年4月の法改正で、これまで努力義務だった私立学校にも合理的配慮の提供が義務づけされます。

知っておきたい! 合理的配慮が求められる背景


 合理的配慮の考え方は、障害の「社会モデル」に依拠しています。従前の障害に対する捉え方は、障害とは何らかの疾病・傷病によるものであり、個人に内在すると考えます。そのために生じる様々なハンディキャップに対して福祉的な支援をすることが障害者支援と考えていました。たとえば「脳性まひ」という肢体不自由のあるAさんは、車イスによる移動しかできないため公共交通機関を利用して一人で旅行するのは困難である、そのため福祉的支援として介助サービスを受ける、という考え方です。こうした考え方は「障害の個人モデル」と呼ばれ、長年の間、障害者への支援・配慮に関する基本的な考え方になっていました。
 現在では、障害は個人に内在するのではなく、個人と社会の間に存在するものと考える「障害の社会モデル」が主流になっています。脳性まひのAさんは、車イスを利用せざるを得なくても、利用する駅にエレベーターやスロープなどが完備されていれば問題ありません。あるいは電車やバスへの乗降時に駅員や運転手が乗り降りを介助すれば利用できるでしょう。すなわち、周囲の環境整備や配慮の有無によって社会生活への参加が左右されており、障害のある人を受け入れようとしない社会の側に「障害」はある、と考えるのが社会モデルです。
 障害があるのは社会の側と考えると、障害のある人の社会参加を促すためには周囲の環境を変えることが求められます。そのための取り組みの一つが「合理的配慮の提供」なのです。

合理的配慮は「調整」であり「特別扱い」ではない


 「配慮」という言葉の語感から、合理的配慮の提供者側が一方的に提供の可否を決定できるような印象を持たれることがありますが、合理的配慮の提供は提供者側が一方的に決めるものではありません。そもそも合理的配慮は「Reasonable Accommodation」の和訳で、国連で障害者権利条約を検討している際に該当する日本語がなかったため、無理やり当てはめた感があります。Reasonableは“筋の通った、妥当な”という意味があり、そこから派生して「手頃な価格」というリーズナブルという意味に転じることがあります。カタカナ英語としては、そちらのニュアンスの方が強い印象があります。一方、Accommodationは“宿泊設備”“適応や順応”という意味に加え、“(紛争・論争などの)調整、和解”という意味があります。したがって「筋の通った調整」という意味であり、その人が抱える困難を解消するために行う調整というニュアンスで捉える方が正しいのです。
 「特別扱いはできない」などの理由で合理的配慮の提供が困難だといわれることがありますが、合理的配慮は特別扱いをするものではなく、障害のある人の権利を保障するために調整をするものなのです。

学校における合理的配慮とは?


 学校における合理的配慮は、中教審によって「教育内容・方法」「支援体制」及び「施設・設備」の3観点に整理されています。すなわち教員の具体的な授業の内容や方法にも踏み込んで支援を検討することが求められます。たとえば聴覚障害のある児童生徒へは、聴覚障害に起因する情報不足を補うために板書や視覚的教材を活用したり、口頭以外の適切なコミュニケーションの手段を用いたりすることが考えられます。あるいは学習障害による読みの困難がある場合にはマルチメディアDAISY教科書(教科書の文章が音声で読み上げられるもの)を利用するなど、それぞれの障害の状態に合わせた支援方法が検討される必要があります。

合理的配慮の提供はどう決める?
「均衡を失した」あるいは「過度の負担」とはどんな状態?


 合理的配慮は「均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」という条件がついているため、「どのくらいなら『均衡を失した』あるいは『過度の負担』に該当するのか」という質問を受けることがあります。障害の状態や合理的配慮の提供側の状況にもよりますので、一概に基準を設けることは困難ですが、そもそもの障害者差別解消法の趣旨から鑑みると、相当範囲のものが合理的配慮として認められて然るべき、と考えます。特に提供者側の業務に直接関係する内容であれば、他の人と比べて著しく有利になるものでない限り、多少の負担があっても合理的配慮として認められます。たとえば公共交通機関の利用の場合、車椅子の利用者が無人駅で乗降する際には、駅員が無人駅まで移動して介助することが求められます。駅員を無人駅に派遣することは交通機関会社としては負担が大きいわけですが、障害のある人が他の人と同じように公共交通機関を利用するためには必要なことであり、また利用者が安全に乗降するように配慮することは交通機関会社の責務ですので、「負担がある」ことを理由に拒否することはできないのです。一方、業務と直接関係ない内容、たとえば「自宅から乗車駅まで送って欲しい」というような訴えであれば、それは当該公共交通機関の本来の業務範囲(乗車駅から降車駅まで移動する)から外れますので「過度の負担」といえるでしょう。
 学校教育であれば、学習に最適な環境を整えることや授業内での学習指導は学校と教員が行うべき業務ですので、それに関連するものは相当範囲のものが認められると考えられます。たとえば読みに困難がある児童が合理的配慮としてDAISY教科書の利用を求めてきた場合、「教員が利用に慣れていないため負担が大きい」などの理由で拒否することはできないと考えるべきです。一方、本来の業務範囲に含まれていないもの(「自宅まで送迎してほしい」など)は、それに係る負担(労力や時間等)が小さいものであっても拒否できるでしょう。

 いずれにせよ、合理的配慮の提供にあたっては、当事者及び保護者と提供者である学校側の間で合意形成を図ることが重要です。どのような合理的配慮が必要なのか具体的に話し合い、双方が納得した上で実施されることが求められます。真摯に話し合いを行う中で、学校側ができることを伝えると共に、子どもがどのような場面でどのような困難を抱えているかの理解を深めることもできるでしょう。そのことが合理的配慮を実りある取り組みにしていくことにもなります。

菊池 哲平きくち てっぺい

1976年生まれ。
熊本大学大学院教育学研究科教授。博士(心理学)。
九州大学大学院博士課程、日本学術振興会特別研究員PD、熊本大学准教授を経て現職。
主な専門領域は特別支援教育、発達臨床心理学。発達障害のある子どもをインクルーシブする通常学級での授業づくり・学級づくりの方法について研究している。
日本授業UD学会理事、日本LD学会評議員

好評シリーズ
コメントを投稿する

※コメント内ではHTMLのタグ等は使用できません。