- いつものクラスでSST
- 特別支援教育
学級の一人ひとりに「きらっ」と輝く個性があります。でも「間違えたらどうしよう」「わからないから嫌だな」という気持ちでいっぱいでは学級の中で安心して過ごせず、子どもの輝きが出てきません。でも反対に「間違えてもほめられた」「友達が意見をいっぱい聞いてくれた」「わからなかったけれど、教えてもらえるから嬉しい」という学級であれば、子どもたちの輝きで学級はいきいきとするはずです。そんな学級にするために、いつものクラスでどんなふうにしていけばいいのでしょうか?
授業中の誤答を価値づけることは、授業のユニバーサルデザイン化においても大切なことですし、クラスの人的環境づくり(人的環境のユニバーサルデザイン化)においても、重要な鍵となると私は思っているんです。
「間違えたらどうしよう」と思っていたら、安心してクラスで過ごせないですからね。
「学校は間違えるところだ」と言われるように、教室で「わからない」「できない」と言えることを保障する、これが先生の重要な使命だと思うのですが、どう思われますか?
「使命」といわれてはっとしました。私達は全員にわかりやすい楽しい授業をめざしています。でもその上で「わからない」と言える力を子どもに育てることも「使命」なんですよね。
そうですね。子どもが「わからない」「できない」と言いやすい雰囲気を作るために、どのような工夫があるのでしょうか?
前の第5回では、二つ考えが出てきたと思います。
一つ目は「誤答したAちゃんの答をもとに、問題の正答にクラス全体でたどりつき共有化できたことを、Aちゃんに感謝することで、間違いが「恥」ではないと思ってもらう」ことでした。
そして二つ目は「取り組む姿勢そのものや、取り組む過程、間違い直しをしたことなどをほめることで、課題に取り組むことが大切という風土を作る」ということでした。
この2点は「人的環境のユニバーサルデザイン化」でしたね。
でも、今回阿部先生に「使命」と言われて「はっ!」としたのは、教師側に「これだけ教えたなら、わかって当然」という慢心がないかということです。
また子ども側も、授業ではできるから、「わかった」と思っているところがあると思うのです。お互いに「わかっている」と勘違いしているかもしれない。
基本的だけど大切なことは、先生方が子どもの実態をとらえていらっしゃるかどうか、ということですね。授業の終わりに必ず「ふりかえり」を書かせて子どもの状態を知っておくとか、授業の冒頭におさらい問題を1問だけやらせてみて前回までの理解度を確かめるとか、先生が学級の状況を常に把握しようとする姿勢が大事だと思います。
一方、子どもの側は、自分がどこまでわかっていてどこからがわからないのか、あるいはできないのかということを、わかっていない場合があります。
先日、円の面積の公式を使った問題を扱いました。「直径4センチの円の面積を求めましょう」という問題で、簡単に問題のイメージ図を描かせ、理解させてから問題を解かせたのですが、どうしてもCさんは図が描けない。習ったはずの半径・直径・中心が定着していなかったのです。でも本人はできるつもりでいたから、できないという事実に固まっていました。
そこで基本の「半径」「直径」を使った円の面積を求める問題をいくつか解かせ、「できる」状態にしました。するとその後「円周がわかっている円の面積を求める」問題になった時、「先生、直径がわかれば面積は求められるけど、円周では、わからない。どうしたらいいの?」と、自分から質問をしに来ていました。
「わかること」がちゃんとあれば、わからないことに対してわかりたいから聞いてくるのだなと思いました。
私が考える「授業のUD」には、授業のスタート時に基本をおさらいすることで、皆の理解を「そろえる」という手法があります。全員の理解をそろえるためには、先生はクラスの子どもたち個々の理解度をいち早く察知しなくてはならないわけです。今、どの子がわかっていて、どの子がいまいちすっきりしていないのかを踏まえた上で投げかけ、わからせていかなくてはなりません。
そのとき、Cさんの事例のように、まず「どこまで自分はわかっているか」ということを子どもに理解させることは大事ですね。「ここまでは確実にわかっている」という土壌があることが、「でもここはまだわからない。わかりたいから聞こう」という姿につながっていくのですね。
阿部先生とお話していて、子どもは「わかりたい」「できるようになりたい」って思っているんだろうなと、教室の子どもたちの姿を思い出して、いじらしくなってきました。
音楽で、リコーダーがうまく吹けなくて「もう!」と怒る子どももいます。また他の教科では「はあ?意味わからんし」と困る子どもの姿があります。でも、子どもはわかりたいから怒るし、困るんですよね。そこを「何でそんな言い方するんですか!」って返さずに、「ああ、おしかった!悔しいよね。ここまではできてたから、ここは先生と一緒にやろうね」や、「わからないって言えるのはちゃんと聞いているからだね。どこまでわかったの?聞かせて。」と子どもに返せるようになりたいです。
大人が子どもを励まそうと思って、「勉強なんてできなくてもいいんだよ」なんて言ってしまうと、「そんなこと言ったって、私だってもっと勉強できるようになりたいの!」と子どもから真剣に怒られてしまうこともあるんです。
尾ア先生は子どもを丁寧に理解しているから、子どもに的確に返すことができるんですね。
日々修行です。子どもの姿をよく見ておかないとできないですから。
ときどき、問題を早々と解いてしまった子がミニ先生となってまわりの子を教えている、という場面を見ます。面白いシステムだな、と思っていたのですが、よくよく観察してみると、相手にわかるように説明してあげようというよりは、できない子に答えを教えてやるといった態度の子がほとんどなんですね、だから実はあまり機能していないような気がしています。わからない子に教えるのって、支援員さんとかでも苦労されていますよね。
ああ…わかります。そう言われるとそうですよね。でも、私も子どもが子どもに教えるというのは、よく使っています。と、いうよりむしろないと困る、という印象です。子どもは子どもの使う言葉でわかることも結構あると思うのです。
このシステムで教え合うことって、どうしたら機能するのでしょうか?
まずは「人に教えるのは、自分の考えを整理することになるから、一番勉強になることだ」ということと、「素直に教えてもらう姿勢をもっている子どもが伸びる」ということを全体に教えておく必要があると思います。そうでないと本当の学び合いが成立しないと思うからです。
システムの前に、そのベースとなる大切な観点をクラス全体にしみ込ませるわけですね。だから尾ア先生のクラスでは、私が他の学校で見て機能していないと感じたような教え合いではなく、いいかたちの教え合いが機能しているんですね。
でも、それだけで自然に教え合いが生まれるわけではありません。ですから課題を早く終えて着席しているだけの子には、
『自分ができて50点、班全員ができて80点、全員ができて百点』
と、声をかけています(これは、三木市立別所中学校校長の春川政信先生から教えて頂いた言葉です)。それで動いた子どもをほめるようにします。
それから、先ほどの話と重なるのですが、子どもが子どもを教える場合、考え方でなく解き方を教えてしまう子がいるのです。「まず36から31.4を引いて。ほら筆算して。」というように。
なるほど。「解き方」でなくて「考え方」を教えてあげる。教える側にそれを意識させることがポイントなのですね。
解き方を教わると答えは出るし、「わかった!」つもりになるんですが、結局自分ひとりではわかっていないことになってしまいます。
だから、私はこの方式を使うときは「答えを教えちゃだめだよ。ヒントをあげて待ってあげてね。」とミニ先生にお願いしています。
教え合いの間に「これは!」という意見をもった子どもの意見を黒板に書かせておけば、後でシェアしてみんなで学べます。それに、その間に、特に配慮を要する子どもに対して担任が個別指導をする時間を作ることもできます。
終わりの会の「今日のハッピータイム」で子どもたちは「○○さんに教えてもらって嬉しかった」というふりかえりをします。教え合いは、温かい人間関係を作り出すためにも欠かせないと思います。
教え合いはまさにソーシャルスキルを育みますね。
柘植雅義編著『ユニバーサルデザインの視点を活かした指導と学級づくり』金子書房、2014
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