- 菊池道場の価値語録
- 学級経営
高学年は、学校を支える存在です。そんな高学年の児童が学校全体のために行動する姿を価値語として示していくことで、世のため人のために率先して行動する児童を増やしたり、下級生への手本を示したりできます。きっかけは一人のほんの些細な行動でも、学級や学校全体に広まり、学校全体をよくする行動が増えていく―そんな価値語録です。
ぼくがやります
なんとなく嫌だな、誰かがしてくれたらいいのにな―そんなことこそ自分から。「やります。」と宣言できる姿は、とても清々しいものです。
この価値語が登場した場面は、給食後の床掃除。「○○さんやって。」「えー○○さんがやってよ。」といった言葉が飛び交っていた中、一人の児童が、「俺がやるよ。」と言って、ささっと床掃除を済ませてしまいました。些細ではありますが面倒なことだからこそ、率先して行う姿はとても清々しくあり、あっという間に掃除は済んでしまいました。「誰かがやってよ。」ではなく、「ぼくがやります。」と言える人。そんな人は、誰かがしなければならないことだけでなく、幸運も引き受けることができるのではないかと思います。
安全に導く
危ないことをしていたら教えてあげる、安全な行動の手本を示したり一緒に実行したりする。低学年を危ない行動から安全な行動へ導くのは、高学年の役目です。
雨降りの昼休憩。運動場で遊べない分、校舎内で走ったり、教室で「だるまさんが転んだ」や「おにごっこ」をしたりと、激しい動きの遊びをしたくなるものです。ですが、高学年の教室では、他学年の児童も呼んで、カルタをしていました。他学年が参加して人数が多くなっても楽しめるように、工夫をしていました。おかげで、みんな安全に昼休憩を過ごすことができました。それからは、混み合う中を低学年優先で譲ってあげたり、順序よく行動する手本を示したり、一人一人が自分にできる行動でみんなを安全に導くようになりました。
人の気付かない所を
細かい所というのは、多くの人はなかなか気付かないものです。そのような所こそ、丁寧にこだわることで、全体の美しさが変わってきます。
この価値語は、教室掃除で扉のレールを一生懸命雑巾で磨いている児童の写真を見せ、「この行動のいいところは?」と尋ねて生まれたものです。教師側としては、「細部にこだわる」という価値語を想像していたのですが、児童から出たのは「人の気付かない所」を掃除しているところがよい、という価値語でした。時には、児童に価値を見つけさせることも、予想外の返答があり楽しいものです。この学校では、学級掃除の日は、自分の教室のみを掃除すればよいのですが、進んでトイレ掃除をしたり、他学年の廊下を掃除したりすることも、他の人にとっては思いつかない所、つまり気付かない所を掃除しているといえます。この価値語を考えた児童も、「人の気付かない所」を進んで掃除していました。