- 特集 教員の適格性が問われる業績評価
- 提言・教員の適格性―人事考課ではかれるか
- 自ら気づき省みる機会を与える支援的指導性は必要
- /
- 大阪における「教職員の評価・育成システム」の試み
- /
- 人事考課は可能である―実効のある実施への改善を
- /
- 教員の適格性を人事考課ではかるべし
- /
- 教師の適格性とは何か
- /
- 東京・大阪にみる教員の業績評価
- 授業力向上のシステムが見えない
- /
- 業績評価をどう機能させるか
- /
- 中間層に実効のある工夫を
- /
- 「教員の業績評価」の問題点―東京の「人事考課制度」と大阪の「評価・育成」システム―
- /
- 教職員の資質向上への取り組み―教育改革の一環として
- /
- 「指導力不足教員」の具体例―こんな教員は困る
- コミュニケーション能力欠如の教師が被害をもたらす
- /
- 子どもに媚びる教師は指導力不足の典型だ!
- /
- 批判を受け入れず事実に背を向ける教員
- /
- 定年退職直前の「指導力不足教員」
- /
- 心身に問題を抱えている教員
- /
- 義務化される「教員の10年経験者研修」の問題点
- 日常研修の強化が鍵
- /
- 「教員の十年経験者研修」は、「授業」に絞った研修システムか
- /
- 校内の授業研修システムの確立を
- /
- 「10年目」では遅い 研修が評価では辛い
- /
- 授業力アップのための教師修業とは
- サークルでの練習授業と再現授業で授業力を鍛える
- /
- 授業を支えるささいな努力を
- /
- 向山洋一著『教師修業十年〜プロ教師への道』に学ぶ
- /
- 「井の中の蛙」になるべからず
- /
- 学力保障に応える算数指導の改革 (第1回)
- 「図形と空間」の授業
- /
- 学力保障に応える国語指導の改革 (第1回)
- 社会科は「問題解決学習」がうまくいく
- /
- 校長に出来る仕事とは何か (第1回)
- 公開職員会議前夜
- /
- 教育ニュース・ズームアップ
- 1)教職員定数改善・第三年次の内容 2)教特法改正で10年目研修の義務化 3)学力向上アクションプランを拡充
- /
- 続・授業にとって「理論」とは何か (第1回)
- 討論は、なぜ成り立つのか
- /
- 生活科の役割を改めて問う (第1回)
- 学力育成への役割1
- /
- 〜生活に根ざし、生活に生きて働く学力の育成〜
- 21世紀の基礎学力とは (第1回)
- バランスのとれた総合的な学力モデルを構想する
- /
- 編集後記
- /・
ぼくも同感だ。(「同感」で合ってるのかな?)算数は音楽と同じようにやればいいんじゃないだろうか。音楽は楽曲をマスターするのに、くり返し歌う。算数も(できない)問題をくり返し解けば、マスターできるんじゃあるまいか。こういうのは「詰め込み教育」じゃないと思う。歌の目的は歌うことでしょ。算数の目的は計算そのものにあるんであって、暗記することじゃないはずだ。(詩の暗誦も、暗記が目的なんじゃなくって、声に出すことが目的なのかもね。余談。)
まあそんなふうに考えると、算数の問題が教科書にあり、それを子供が解くという授業の形式そのものが、もしかしたらマチガイなのかもしれない。問題と証明がすべて書いてあって、それを子供がくり返しノートに写すっていうほうが、正しいのかもしれない。ぼくは数学教育の専門家じゃないから分らないけど。古代ローマの皇帝は数学と音楽で調和を学んだっていうから、学習原理は同じものなんじゃないかなあ。どうなんだろ。
「『おぼろ月夜』の歌い方をみんなで考えましょう。」なんて変だ。だから、「24×12の計算の仕方をみんなで考えましょう」も変なんじゃないのかな。計算の仕方は先生が教えればいいんじゃないかな。(教科書に書いてあるほうがベストかもね。)あとはくり返し計算する。それだけのことなのではあるまいか。算数の教科書はバイエルみたいなもんにすればいいんじゃあるまいか。そんなことを、最近、高木貞治『解析概論』(岩波書店)を読んで思ったりしました。