- 特集 「国家意識の欠落」どこに問題があるか
- 提言・戦後教育の功罪―なぜ国家意識の教育が避けられてきたか
- 戦後日本における個人と国家
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- 敗戦と国家意識の教育
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- 「憲法前文」の破綻と教育の課題
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- 三つの時期に分けると「意味」が見えてくる
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- タブーであり、教科外だった
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- 社会科はなぜ「国家意識」の教育を避けてきたのか
- 社会科の内容に「国」という概念がうすかった
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- イラク人質事件と国家意識
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- 社会科の不幸な歴史との訣別を
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- 現場からの証言―子どもたちの「国家意識」は?
- 中学生に〈日本人の誇り〉を育むのは教師の使命である
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- 教師が意識して授業をしていない
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- 日本をよくするために何ができるか
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- 日本の子どもに日本の領土問題を授業する
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- 外国の人の目を通して日本を知る
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- この国への思い
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- 同心円構造の落とし穴
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- 国家意識は高めていかねばならない
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- 「誰が国家の担い手か」―国家意識をどう教えるか・小学校
- 授業を通して提案する―「建国記念の日」の授業―
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- 日本国憲法制定について授業する
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- 対立の自覚
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- 五つの原理に基づいて「国家意識を教える授業」を創る
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- 「誰が国家の担い手か」―国家意識をどう教えるか・中学校
- 「組織論」を参考にした社会科の授業実践例
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- 自由民権運動を通じて学ぶ「国家の担い手」
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- 日本人に流れるDNAを中学生に伝える
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- 「我が国」の視点を教えよ
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- 教育ニュース・ズームアップ
- 1)文科省が定数改善で研究協力者会議 2)教育改革と保護者の意識―日P調査 3)文科省が「外国語教育の課題」示す
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- 「授業批評の力」を鍛える (第5回)
- ケアリングの教育方法
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- 授業を変える学習集団づくり (第5回)
- 学習集団の歴史性
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- 校長が学校を変える (第5回)
- 恨みはらさでおくべきか
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- TOSS授業技量検定受検のドラマ (第5回)
- 受検して自分の課題が見える
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- 続・TOSS授業技量の検定 (第5回)
- 天才的指導技術をもった集団は
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- なぜ検定外・算数教科書を創ったか (第5回)
- 検定外教科書創作の意図を語る
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- 編集後記
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■編集後記
◯…本特集は〇三年の特集「国民国家論への思考停止を問う」につづくものです。その特集の趣意として、戦後国民の精神的空白として「国民意識の喪失」を問題としました。これまでわが国では、国家について論じることは、多くの場合、たちまち右か左かという色分けのリトマス試験紙として用いられてしまう傾きがあったと『国家についての考察』で佐伯啓思氏は述べています。しかし、今日の日本において「国家」や「ナショナリズム」についての討論は避けて通れないものとなっていることも事実のようです。
◯…〇三年の特集で「戦後日本の国家の論じ方を省みる」を寄稿された江間史明氏は、その論じ方を二つのタイプに分けて紹介しています。第一は「国家・国民」と「社会・市民」とを対立的に二者択一でとらえている論じ方。第二は「日本人」という民族の共同体を想定し、「国家・国民」をとらえる論じ方。いずれの論じ方においても、自覚的な「国民」という次元を中心に据えた議論が希薄である、と指摘されています。
◯…戦後民主主義の中核的役割として誕生した社会科は、昭和三十三年版以降は、ナショナリズム・イデオロギーの構成要素である「国民的伝統」「国民的利益」「国民的使命」が出そろったと分析している意見もあります。(新潟大の宮園衛氏)
◯…この時の特集で現場人から「公教育における国家の不在」を指摘された齋藤武夫氏は「自由と民主主義は、国民の不断の努力によって初めて実現されるのである。ところがわが国では、それを支えるべき国民、国家をわがこととして引き受ける国民を育てようとしてこなかった」と批判しています。
◯…本号は、再びこの問題を、戦後教育の批判、検討を経て問題提起するものです。
〈江部 満〉
◯…「私は戦争体験者として、やはり侵略戦争にこだわりたい」小誌江部編集長の後記。(「学校マネジメント」誌)
「PTAは、終戦後GHQの勧告を受けて、当時の文部省が父母と先生の会委員会を設置して『父母と先生の会 教育の民主化のために』という手引書を作成」
「韓国には日本のPTAのようなものはありません。日本はアメリカに占領されたからあるんですよ。民主化のためにつくられたのでしょう。韓国は(戦争の結果)解放された国だからないんです。」
引用は同じ7月号(小誌)、大森修氏の論文からです。(韓国の発言は、交流校教頭先生の言だそうです。)
「社会科教育」誌では「ディアスポラ=国際的にはもう常識となっている思考・行動枠」を連載してもらっています。
日本ではまだ認知度が低いのは江部発言が証明していますが、せめて、レッテル貼って安心、思考停止だけは止めたいもの。これも占領で通達された民主化の戦果≠ナしょうか。
〈樋口雅子〉
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- 明治図書