- 特集 「いじめ」発見・対応の学校システム構築
- 「いじめ」に関する最近の傾向
- 現代のいじめのパターン及びいじめられる原因について
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- 閉鎖的な情報社会にとらわれてしまった子供
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- 「いじめは」巧妙になっている
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- 「いじめ」解決には、特別支援教育の視点が、必要である
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- いじめは「なれ合い学級」で起こる
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- 狭い世界の中で起こるいじめ
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- 「いじめ」発見・対応のシステム構築=ポイントはどこか
- [提言] いじめへの対応「学校がかかえる二つの根本的欠点」を克服して
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- [向山提言を受けて] 学校計画の中に、具体的なシステムが明記されているか
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- いじめ―なぜ生徒は教師に相談しないのか―「いじめ調査」を通して浮かび上がった学校対応の問題
- [提言] 教師と生徒のあいだを開き拓く多様な人の広がりを
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- [馬居提言を受けて] もはや教師だけで勝負するのは、黒船に向かっていくようなもの
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- いじめに正対する教育・どんな方法があるのか
- 「教育相談」でするいじめへの対応
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- 「コーチング」を中心にした学級経営
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- 「集団づくり」で規範意識を育てる
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- 〈管理職がする教師力のチェックポイント〉教育力の弱いクラスで起こるいじめ
- 甘く見られている教師のクラスで起こるいじめ
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- 規範意識の指導が弱いクラスで起こるいじめ
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- 叱り方がまずい教師のクラスで起こるいじめ
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- 「いじめ」に歯止めをかけられる教師の教育力
- 教師だからこそ問われる心のケアと授業による学級づくり
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- 「いじめ」加害児への指導・効果がある方法
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- 「いじめ」問題・保護者へのアプローチの留意点―モンスターペアレンツへの対応
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- 私の体験談・深刻で長期の「いじめ」にどう向き合ったか
- 「子どもと向き合う」ということ
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- 「なくそう」とするのではなく乗り越える勇気を支える聞き方を!!
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- 部活の仲間が救ってくれた
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- いじめられている生徒の味方に徹せよ
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- あの人は「いじめ」にどう向き合ったか―いじめはいつでもどこでも起こる
- 大西実践にみる「いじめ」への指導
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- 向山実践にみる「いじめ」への指導
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- 義家実践にみる「いじめ」への指導
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- 教委発行の「いじめチェック表」を見て思うこと
- 資料を活かす、教師の感性が重要
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- 教委は、いつから臨床心理家のしもべになったのですか
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- なぜ、十ニ年前の教訓が生かされないのか?
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- 教師力「生徒理解力」が肝要
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- 〈学校現場としての言い分〉「いじめ」に関する報道への不満点
- 今こそ『頑張っている〈普通〉の教師を、社会も保護者も温かく見守りの応援しよう!』というキャンペーンを始めて欲しい
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- 餅は餅屋に聞け
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- 今こそ、つながりかかわりを再生するための報道を
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- 「いじめ助長」と「自殺助長」―( )で綴る疑問点―
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- いじめの教材化・授業化―どんな実践があるのか
- 児童生徒が主体となって取り組むいじめ防止の取り組み―「ふれあいトーク」の実施―
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- 子どもとの信頼関係を築くために、出会いから三日間を大事にしたい
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- いじめ裁判判決文を活用した授業
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- いじめ対策とゼロ・トレランス
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- 食育のための学校ガーディニング (第1回)
- “給食”でする食育
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- 学校に伝統文化の活動を (第1回)
- 伝統文化教育の曼荼羅世界
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- 親向け教育情報誌ウォッチング (第1回)
- 新人類の親たちは学校を尊敬しない
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- 教育バウチャー:いやでも?学校が変わる仕掛け (第1回)
- 教育バウチャーとは
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- 教育課程改定と学校経営の改革点 (第1回)
- 「基準性」の意義と効用
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- 学校研修を刺激する処方箋 (第1回)
- 誰が、教育の第一義的責任者か
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- “割れ窓”理論の生徒指導―ゼロトレランスが学校の秩序を回復する (第1回)
- ゼロトレランス方式に対する誤解
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- 07’管理職に必要なクライシスコミュニケーション (第1回)
- 「危機管理」は管理ではない。普段の仕事の中こそ「危機管理」はある
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- “地域の声”と学校はどう向きあうか (第1回)
- 地域と学校の「いい関係」をめざして
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- 校長講話 3分話の知的ネタ (第1回)
- 校長先生の講話原稿「漢字は全部でいくつある?」
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- 寺脇研の“教育再生”私案―諸プランの採点に立つ代案提言― (第1回)
- 挨拶に困る、教育再生会議第1次報告
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- 管理職のための“教育のレシピと隠し味” (第1回)
- 気韻生動―心に響くとは
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- 編集後記
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- 日本音楽と日本文化 (第1回)
- 日本の芸能・音楽の原点 天鈿女命
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編集後記
美術館やコンサートなどに行き、名のある絵画や仏像、音楽などを鑑賞すると、心が響き日頃の疲れが癒されることがある。
同伴者がいれば、その後、喫茶店やレストランで互いの感想を述べ合い、余韻を楽しむ。その時間も楽しみの一つだ。
このように、人は美しいものを見たり聞いたりすると、なぜ感動したり美しいと感じるのだろうか。
その答えの一つとして「気韻生動」という言葉があることを美術史家の田中英道(東北大学名誉教授)氏から教わり、思わず合点がいった。
5世紀の終わり頃、中国の画人・謝赫が『古画品録』という画論の中で、絵画を批評する際に6つの指針(画の六法)があるとして、その冒頭に、この気韻生動を挙げている。
ちなみに、他の5つの言葉とは、骨法用筆(骨格と筆の用い方)、応物象形(デッサン力)、随類賦彩(色彩感覚)、経営位置(画面の構成力)、伝模移写(伝移模写ともいわれ、模写力)であり、技法の指針である。
他方、冒頭の気韻生動は、技法ではなく精神の指針であり、気(生命の流れ)と韻(リズム)が生き生きとしている――簡単に言えば精神の躍動感である。
前述の謝赫は、この精神と技法の6つの指針から、絵を見る視点を説いた。
確かに、よい絵画を見ると、構図や色使いなどの技法を通して、画家がキャンバスの中に精神の躍動感を表現しており、その絵から発せられる気と韻と、見る者の気と韻が調和し心に響き、感動し美しいと感じるように思える。仏像や音楽、そして映画などもまたしかりである。
近代日本画の巨匠、横山大観(一八六八〜一九五八)は、『大観のことば』(横山大観記念館編)という小冊子で、この気韻生動について次のように言う。
「画論に気韻生動ということがあります。気韻は人品の高い人でなければ発揮できません。人品とは高い天分と教養を身につけた人のことで、日本画の窮極は、この気韻生動に帰着するといっても過言ではないと信じています」。さらに日本画の精神についてこう記す。
「近時の日本画は、絵を心で描く事なく、単に手を以て描いているに過ぎない。単に眼の命ずるところによって駆使される技法では、それは、事物の客観的な形象を、ただ表面的に説明するにとどまって、物象の真実なる生命を表現することは出来ない」――横山大観は、気韻生動を創作の原点に置き、文字通りそれを実践した。
さて、昨今の荒んだ世相を見るとき、合奏者が好き勝手に演奏し、不協和音が奏でられるコンサートの練習風景のように感じられる。
横山大観はこういう。「人間ができてはじめて絵ができる。それには人物の養成ということが第一で、まず人間をつくらなければなりません」。心に響く教育とそれを実践するリーダーが、求められているように思える。
連載 管理職のための“教育のレシピと隠し味”
1 気韻生動―心に響くとは
教育ジャーナリスト 光岡洋一
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- 明治図書