生活指導 2001年6月号
学びの意味を回復する

L566

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生活指導 2001年6月号学びの意味を回復する

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ジャンル:
生活・生徒・進路指導
刊行:
2001年5月
対象:
小・中
仕様:
A5判 124頁
状態:
絶版
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目次

もくじの詳細表示

特集 学びの意味を回復する
特集の解説
折出 健二
実践記録 学びの意味を回復する
おもちゃづくりに夢のせて
小林 正洋
ぼくの家族は六人になる
松下 敦子
授業で「自分を探る」
小島 昌世
実践記録のコメント
豊かな学びと「学習」の意味―小林、松下、小島氏の実践を読んで―
小渕 朝男
コメントを受けて
正男と学級集団
小林 正洋
本ものの学びを求めて
松下 敦子
英語の授業とは
小島 昌世
生活指導としての学びの創造
照本 祥敬
教材解釈と総合学習―H ・ヘッセ『少年の日の思い出』にそくして―
竹内 常一
第2特集 〈学校〉はどこへいく(3)
良心のおしつけ
丹下 加代子
「心の教育」について
周 明
「条例」で学校は変わるか
釋 鋼二
政策版「心の教育」に抗するもの
川村 肇
今月のメッセージ
学びと集団づくり
花山 尚人
教育情報
学校で「虐待」をどうとらえるか
山本 理絵
〜児童虐待防止法が制定されて〜
書評
公共性
山本 敏郎
読書案内
応答可能性としての責任
子安 潤
〜学びの意味〜
読者の声
4月号を読んで
案内板 集会・学習会のお知らせ
集団づくり―わたし流メソッド (第3回)
小学校/マイナス×マイナス=プラス―問題を持つ子は、クラスの宝ということ―
宍戸 ひろゆき
中学校/六月に実践は動き出す
中川 晋輔
同時代を生きる教師たち (第1回)
自己を変革させていくこと(1)
黒坂 晴美
ほっとたいむ サークルからの発信
福井にサークルづくりをめざして
佐藤 収一
コメント
三石 晃久
投稿 実践記録
友情の人形がぼくたちに教えてくれたもの
佐藤 紀代子
【コメント】学びと生き方
釋 鋼二
全生研第43回全国大会参加要項
編集後記
折出 健二

今月のメッセージ

学びと集団づくり

常任委員 花山 尚人


集団づくりのさまざまな側面に学びの要素があるとすれば、基本は、対話ではないだろうか。対話的な関係性と言ってもいい。

対話的な関係性は、討論・討議へと発展していく。集団づくりにおいて、学びを考えるとき、討論・討議は、その基軸になっていくだろう。

クラスのキャピキャピグループの女の子たちと、会話ができるようになったのは、七月頃になってからだった。九月の体育祭は、クラスを変え、彼女たちをも変えた。彼女たちは、すでに、個人ノートに、体育祭のことをぎっしり書いてくれるようになっていた。

教室の隣に空教室がある。何かあると、彼女たちは、「部屋を貸してほしい」と言ってきては、二時間でも三時間でも話し合っている。ある日、たまたま、会話が体育祭のことになっていった。「なんで、こんなにクラスが変わったんだろう」というある子の問いかけに、会話の花が咲いていった。

ダンスや踊りで表現できる場をつくれたこと、そしてダンスや踊りを通じてクラス一人ひとりとやりとりができ、意外な一面をたくさん発見できていったこと、午後は全部取り組み時間にあてられて全精力を思う存分ゆとりをもって注げたこと、ブロックというしくみがそうさせたのではないか。

そして、彼女たちは、ダンスのリーダーとしてクラスをひっぱる役目にたったわけだが、そのことと関わって、リードするって?リーダーって?そして、行事って何なんだろうということになっていった。

高橋廉氏は、『学びと自治の最前線』(全生研常任員会編)の巻頭論文の中で、「生活指導は連続した学びの指導でもある」としたうえで、対話・討論・討議は、自己認識(新しい自分を認識する)仲間認識(友だちの意外な面を見つけたり仲間を再発見する)集団認識(集団のちからを発見する)などを学ぶ場であったことを再認識する必要を述べている。このことは、「自分が変わった」「関係性が変わった」「世界認識(世界観)が変わった」という実感を一人ひとりがもつことを意味するのだと思う。

何を話題化、議題化するのかを教師とリーダーを中心に考えあいながら、学習的な討論・討議、分析的な討論・討議をつくっていきたい。

その際、教師自身の変革が問われる。わたしは、近年、自分の中にある活動主義的な部分、正解主義的な部分を点検しながら実践に向かうようにしているが、なかなかこの垢は完全に削ぎ落とせそうもない。

しかし、無理せずゆっくり、学びの構えをもちながら、教師としての自分を変えてゆきたいと思っている。

また、今日、対話的なものをやっていく時間やゆとりが非常に少なくなってきているように思う。

子どもたちが塾や習いごと、部活・クラブに追いたてられて、あくせくあくせく生活していることも関係しているし、教師も事務的な作業にとられる時間は膨大である。

しかし、子どもと子ども、子どもと教師のあいだに、キャッチボールのできない状況が、「子どもが学校から降りる」ことを生んでいるとすれば、このことの克服がまず急務ではないだろうか。

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