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今月のメッセージ
学びと集団づくり
常任委員 花山 尚人
集団づくりのさまざまな側面に学びの要素があるとすれば、基本は、対話ではないだろうか。対話的な関係性と言ってもいい。
対話的な関係性は、討論・討議へと発展していく。集団づくりにおいて、学びを考えるとき、討論・討議は、その基軸になっていくだろう。
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クラスのキャピキャピグループの女の子たちと、会話ができるようになったのは、七月頃になってからだった。九月の体育祭は、クラスを変え、彼女たちをも変えた。彼女たちは、すでに、個人ノートに、体育祭のことをぎっしり書いてくれるようになっていた。
教室の隣に空教室がある。何かあると、彼女たちは、「部屋を貸してほしい」と言ってきては、二時間でも三時間でも話し合っている。ある日、たまたま、会話が体育祭のことになっていった。「なんで、こんなにクラスが変わったんだろう」というある子の問いかけに、会話の花が咲いていった。
ダンスや踊りで表現できる場をつくれたこと、そしてダンスや踊りを通じてクラス一人ひとりとやりとりができ、意外な一面をたくさん発見できていったこと、午後は全部取り組み時間にあてられて全精力を思う存分ゆとりをもって注げたこと、ブロックというしくみがそうさせたのではないか。
そして、彼女たちは、ダンスのリーダーとしてクラスをひっぱる役目にたったわけだが、そのことと関わって、リードするって?リーダーって?そして、行事って何なんだろうということになっていった。
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高橋廉氏は、『学びと自治の最前線』(全生研常任員会編)の巻頭論文の中で、「生活指導は連続した学びの指導でもある」としたうえで、対話・討論・討議は、自己認識(新しい自分を認識する)仲間認識(友だちの意外な面を見つけたり仲間を再発見する)集団認識(集団のちからを発見する)などを学ぶ場であったことを再認識する必要を述べている。このことは、「自分が変わった」「関係性が変わった」「世界認識(世界観)が変わった」という実感を一人ひとりがもつことを意味するのだと思う。
何を話題化、議題化するのかを教師とリーダーを中心に考えあいながら、学習的な討論・討議、分析的な討論・討議をつくっていきたい。
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その際、教師自身の変革が問われる。わたしは、近年、自分の中にある活動主義的な部分、正解主義的な部分を点検しながら実践に向かうようにしているが、なかなかこの垢は完全に削ぎ落とせそうもない。
しかし、無理せずゆっくり、学びの構えをもちながら、教師としての自分を変えてゆきたいと思っている。
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また、今日、対話的なものをやっていく時間やゆとりが非常に少なくなってきているように思う。
子どもたちが塾や習いごと、部活・クラブに追いたてられて、あくせくあくせく生活していることも関係しているし、教師も事務的な作業にとられる時間は膨大である。
しかし、子どもと子ども、子どもと教師のあいだに、キャッチボールのできない状況が、「子どもが学校から降りる」ことを生んでいるとすれば、このことの克服がまず急務ではないだろうか。
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- 明治図書