- 特集 家族―幻想と現実
- 特集の解説
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- 問題提起 家族―幻想と現実
- 「家族の問題」を語りはじめよう
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- 家族を自己決定しよう
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- 問題提起への応答
- 「家族」から家族、そして個人へ
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- 家族は異文化の共有空間である
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- 子どもの視点から「家族とは何か」を考える
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- 「家族の問題」―おとなとしてできることは?
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- 幸せってなんだろう
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- 「多様な家族のかたち」への共感
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- 応答を受けて
- 見えてきた新たなテーマー人は誰と生きるのか
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- 未来の家庭像を求めて
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- 課題としての現代家族―感情というまなざし
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- 第2特集 新たな学習集団の試み―「組」と「級」の関係について
- 右往左往しながら、みんなの合意で進む
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- 教室はまちがえるところだ
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- ある私立中学校のハーフサイズクラス授業の試みと課題
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- 子ども・教師による学習集団・生活集団の組織―参加と共同原理で―
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- 今月のメッセージ
- 「弱者の教育学」
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- 教育情報
- 「全国学力テスト」関連情報
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- 書評
- 「家族の闇」を照らすことの意味
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- 5000万円恐喝事件の教訓は何か
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- 10月号を読んで
- 案内板 集会・学習会のお知らせ
- 集団づくり―わたし流メソッド (第9回)
- 小学校/学校との新しい出会いに
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- 中学校/できることからひとつずつ
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- 同時代を生きる教師たち (第1回)
- 組合活動型教師と教育研究型教師の統一(1)
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- ほっとたいむ サークルからの発信
- 肩ひじ張らずに
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- 投稿 実践記録
- 「がんばらなくちゃいけない子どもたち」とともに
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- 【コメント】「能力主義」を越えていこうとする実践
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- 全生研の窓
- 編集後記
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今月のメッセージ
「弱者の教育学」
常任委員 中 川 晋 輔
これは自ら弱者だと認識する、数も少なくひっそりとはしているが、それなりに「本もの」を求めたいという人に「あなたのやり方のそれでいいのだ」というメッセージを送るための小論である。
社会と子どもたちの変化に対応して、教科書的な『学級集団づくり入門・第二版』から参考書的な『新版』に移り、すでに一〇年が経過した。その間、冷戦の終了、国内不況の深刻化といった上部構造の変化があり、学校も「教育改革」の名の元に大改悪がはじまった。こうした中で、子どもたちの荒れは小学校にも波及して、学級崩壊はもはや珍しい現象ではない。さらに暴力、不登校、いじめは増加の一途をたどり、減少の兆しさえ見えない。こんな一〇年はかつてなかった。
そうした中で『三版』なり『新新版』なりを求める声もあるが、現状ではむずかしい。その理由の一つは学校の「変革」がどのように推移するか見えないこと、もう一つは地域差が大きく、包括的なものがどの程度、意味を持つのかが不明なことにある。そこで、今、私たちは地域限定版としての、また問題提起的なものとしての『新新版』を自分流に編み出していくことが求められている。
従来、全生研では「強さ」が求められてきたのではないだろうか。ことに『二版』においてはその色合が濃い。「集団のちから」というキーワードは「班競争」をテコに、矛盾を明らかにして、それを乗り越える強さを求めた。『新版』においてはその傾向は薄まったものの、主導権をどう確立するかがテーマの一つとされた。
「ヘゲモニー(主導権)というものは、このように集団の討論の中で確立されるものである」と中学校編では述べ、「力による支配はこの退化型にすぎない」と指摘しているが、「強さ」が見え隠れする。
『新版』はその一方、「共同」という概念を示すことによって教師の位置関係を改めようとしたと思う。とは言え実践現場では教師主導型、まず教師がリーダーとして立ち現れるというイメージが拭い去られてはいない。強い教師像が必要だというのだ。しかし、はたしてそうなのだろうか。
かつて諸先輩方の優れた実践は私たちを奮い立たせ、前期班の話に心踊らせた。その作為が気になりつつも楽しかった。しかし、努力してもなかなか前期にいけなかった。こうして試行錯誤しつつ感じたのだ。どうも子どもたちがおかしいと。そんなある日、舞台が変わったことに気づいた。諸先輩方の活躍した舞台とは異なった舞台の上に私たちはいる。そこでは「強さ」よりも「弱さを自覚すること」が有効のようなのだ。
「弱者の教育学」とは、フォロアーシップ型のリーダーシップを根底に置く。
弱さは子どもたちの側面で言えば、いじめられっ子、不登校児、暴力的な子など問題を大きく抱えた子の中に見られる。そうした子を支える集団をどうつくるか、彼らの考えをどう引き出して、みんなに考えさせるかである。そのためにリーダーがおり、班やグループを用意する。決して華やかではないけれど、自治の根底にある連帯を大切にする。そこから実践を組み立てる。また、教師の側面で言えば、子どもと横並びの位置につき、「指導」より「援助」を基本に、今まで関係ないやと眠っていたより多くの子どもと話し合うことからはじめる。
「よい学級をつくるために実践をするわけではない」と山形大会の特別分科会の中で大西さんが言い放った。「何を教えたかだ」と。ということは、いろいろのアプローチがあってよいということだ。私たちは優れた子ども分析という伝統と実践検討という手立てを持っている。自分の舞台で、自分らしい実践を誇りを持って行なおう。継続はちからとなる。「弱さ」を自覚した実践報告が多数出され、サークルで検討されることを心から期待する。
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