- 特集 もめごと・対立・トラブルを突破する実践8つのヒント
- もめごと・対立・トラブルを突破する実践8つのヒント
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- 男女の対立に悩んでいる
- 小学校/男女の対立は当然・男の子と女の子の違いを学ぶチャンス
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- 中学校/男女のトラブルが起こるわけ
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- 学級に正義が通らない
- 小学校/正義は確認し育てるもの
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- 中学校/子どもたちと今の事態をどう読みとくか
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- 授業規律が乱れ授業が成立しなくなる
- 小学校/「よい授業」を再考しよう
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- 中学校/授業がグジャグジャ−そういう時こそ工夫が生まれる…というのは本当だった!
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- 学級活動に参加しない子どもがいる(無気力でやる気を起こさない)
- 小学校/考え方と対応・4つの視点
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- 中学校/やる気のない子を責める前に
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- 学級の中のいじめ問題が深刻である
- 小学校/いじめ発見からいじめ克服へ
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- 中学校/何を踏まえて指導するか
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- 登校しぶり・不登校の子どもをかかえている
- 小学校/長い見通しを持ち、粘り強い指導を
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- 中学校/「不登校に取り組んでいる」と考えてみる
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- 保護者とのトラブルに悩んでいる
- 小学校/保護者とのトラブルを乗り越える鉄則・子どもの輝く姿をアッピールしよう
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- 中学校/子ども・保護者・教員を捉える視点をどのように持つか
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- 学年の先生とうまくいかない
- 小学校/二つの「立場」から考えてみる
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- 中学校/活動を通して出会い直しを
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- 第2特集 改正に異議あり―今なぜ教育基本法か
- 基調論文
- 教育基本法をとらえかえす
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- 論点 教育がどう変わる?
- 教育の目標と愛国心
- 愛国心教育の今と明日を切り裂く
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- 男女平等の問題
- 教育基本法「改正案」と両性の平等―第五条男女共学「削除」が意味するもの
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- 家庭教育・地域教育の問題
- 教育基本法「改正案」第十条及び第十三条のねらいと対抗の視点
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- 教育行政の「介入」
- 学級の生活が消え、教師が変えられる
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- 今月のメッセージ
- 「自分を守る・はずす・つながる・独自の実践をつくる」サークルを至るところに
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- 若い教師のための子ども集団づくり12か月 (第7回)
- 小学校10月/子どもがつながる修学旅行
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- 中学校10月/子どもたちとの対話をすすめよう
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- 実践の広場
- 私の教室
- みんなでつくろう ゆめいっぱい
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- 学びの素材
- 「幽霊は実在するか」ディベートで考え合う
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- すぐ使える遊び・ゲーム
- ぜったいうける教室ゲーム
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- 部活動・クラブ活動の工夫
- 奥大日岳山頂での「おひとつどうぞ」
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- 子どもの文化事情
- 文房具のことから語ってみませんか
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- 手をつなぐ―親と教師
- 親とつながる、子どもとつながる
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- 心に残る子どもとの対話
- 美子が笑えるクラスに
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- 掲示板Y・O・U
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- 北から南から
- 各地の基調提案 岐阜
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- 〜〈二〇〇六年度岐阜県生活指導研究協議会基調提案〉ここで共により良い生活をしようという願いを育てよう〜
- 教育情報
- 青年期を生きる軽度発達障害者に聴く
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今月のメッセージ
「自分を守る・はずす・つながる・独自の実践をつくる」サークルを至るところに
フリー教育研究者 浅野 誠
今至るところで、「職場が大変だ。自分の生活までこわれそう」「独自性のある実践を創造したいが、その余地が狭められ、そんなことを考える時間さえとれない」などという声が聞かれる。こうしたことは、「上」からの指示や「システム」への対応でやらなくてはならないものがこれまで以上に増えているためといわれる。同じことは、子どもたちにも大人たちにもいえそうである。そして、それらには「競争」と「自己責任」という言葉がつきまとっている。
それにどう対応するか。いろいろな対応があるが、あまりいわれていないこと三つ。
一つは、<自分を守る>である。一生懸命まじめにやる人はこれが下手である。うまくいかないと自分を責めて「もっとがんばらなければ」と考えてしまう。自分を守るためには、まず緊張を強いられる場面から去り、<休む>ことである。<休む>ことは罪ではない。自己を守るための正当なことだ。そして、自己を守るための作戦の中心に、他の人に「話す」「グチる」「訴える」がある。
二つ目は、<はずす>である。はまりこんでしまって、今自分がしていることがどういうことなのか見えなくなることは多い。その状況をはずして、異なる世界と出会い、今の状況を異なった目から見直す。その際、今縛っている「権力・システム」とは異なる別の「権力・権威」に依拠するというのもあるが、それよりは近くの他の人とともに見直す作業をする方がいい。自分の置かれた状況にあわせて考えられるからである。
三つ目は、<つながる>である。一時的なものであってもいいから、頼れそうな人につながる。いいと感じ、多少継続的なつながりになればなおのこといい。そんなつながりは、友達、仲良し、グループ、サークル、結社などと呼ばれてきた。しかも、そのメンバーにはいろいろなタイプがいたほうがいい。悩むことは共有しているとしても、それへの向い方が随分異なる人がいると、発見が多い。
そんなつながり・結社を育む発想は日本のなかでは底が浅い。かつての共同体が崩壊した後、それに代わるつながり・結社が育てられず、権力・システムに依存するか、孤立化しがちになる。このことは学校でもそうである。学校は子どもたちがつくるグループを抑圧してきたが、育ててはこなかった。子どもたちによる自由な部活結成を閉ざし、既存のどこかに入部させるシステムが一般的になっている。そこで子どもたちは部活の裏にグループをつくる。クラスも、つきあうべきシステムとみなされ、クラスの裏に自分たちのグループをつくる子どもは多い。
ところで、1960〜70年代ころには、権力が要求する教育実践に対して、民間教育研究団体が提案する教育実践が大きな権威をもち、どちらがよりすぐれているかせめぎあう発想が広くみられた。無論、民間教育研究団体は、一人ひとりの教師がつながりあったグループ・サークルとともに実践を創造し、それを全国的な場で提案し、ネットワークをつくるという面をもっていた。そうしたものをもとに全国的権威がつくりだされた。その後、権威的要素は徐々に低下するようになってきた。教育現場では権力・システムの強大化のなかで、対抗権威をもとに実践を創造する形よりも、その現場・子ども・地域の実情に即した、独自の実践を創造する形が目につく。そして、それらが多様な形で全国の多様な実践とつながり、ネットワークをつくっている。教師間のつながりが薄くなり、サークルなどの集まりも減ってきているといわれる今日、なおのこと三つの対応を支え、独自な実践を創り出すサークルが求められている。
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