
- 作文指導を変える
- 国語
国語の教師であるならば、文章を書くことは、得意と言わずとも苦手であることは少ないでしょう。誰かに習ったわけでもないのに、書けてしまいます。ところが、教室には書けない子供だらけ。
(なんで、書けないの?)
という疑問が浮かびます。私の教師修行も、この疑問を問いにして解決していくことから始まりました。
できる人は、言葉が消える
今着ている服にボタンがあったら、1つ外してみてください。また、靴紐の人は、その紐を解いてください。できましたね? では、今度はボタンの留め方や靴紐の結び方を、ジェスチャーを使わないで言葉だけで説明してみてください。できましたか?
これが結構難しいのではないでしょうか。人はスキルを獲得する時には、言語を活用して獲得します。説明する時もされる時も、主に言葉で行います。ところが、一旦そのスキルを手に入れると、その時の言葉が消えます。オートマチックに進めるようになります。
文章が書けるようになっていた私は、オートマチックに文章を書いていたので、自分がどうやって書いているのかの言語が消えていました。もう一度その言語を獲得し直さなければなりませんでした。しかし、これが難しい。自分の行動をメタ認知して、言語化していくことはとても大事なのですが、難しいこと限りなしなわけです。
しかし、これができるようにならないと指導はできません。うーむ。
家本芳郎先生の言葉
私が思い出したのは、家本芳郎先生*1のこの言葉です。
「分からないことがあったら、子供に聞けばいい」
この言葉は、私が実践で行き詰まった時、とても助けてくれました。教師は、指導に行き詰まるとあれこれ考えて調べて…とやります。それはそれでいいのですが、それだけではだめというのが家本先生の考えです。
指導を受ける子供の立場に立って考えればいいというのです。その通りです。実際に指導を受けるのは子供なのですから、彼らが困っていること、どうして欲しいのか、どうなりたいのかを直接聞けばいいはずです。そこで、書けないと言っている子供に聞いて回ることにしました。
子供が書けない4つの理由
そこで分かったことは、以下のことです。
- 何を書いたらいいのか分からない。
- 何から書き始めていいのか分からない。
- どんな順番で書き進めたらいいのか分からない。
- なんのために書くのか分からない。
聞いてみるものです。
確かに、私はこの全てが分かっていました。
でも、これを言語化することはできていませんでした。
子供たちが書けない理由は分かりました。*2もし、本当にこの理由で書けないのであれば、これらの書けない理由に対する解決案を示すことができれば、子供たちは書けるようになるはずです。
それならば、と解決策をあれこれ考えて、実践することになりました。
実践家の醍醐味は、ここにあると思います。
「1.何を書いたらいいのか分からない。」を発見した頃の、駆け出しの若造の私には、醍醐味だなんて思う余裕もなく突進していましたが、今振り返ると、あの嵐の中にいて右往左往しながら、
(こ、これで行ってみるか?)
と仮説を立てて検証、というか、試行錯誤をしていました。
また、失敗することが実践家には許されています。
私の恩師の竹内常一先生は、
「池田、実践家は失敗することが許されているんだよ。そうでなければ、実践なんてできない。ただし、2回は失敗できないけどな」*3
と言ってくださったことがあります。
子供たちに、自分が考えてきたことを話して、
「やってみる?」
と確認してやる。うまく行ったらよかった。そして、もっと改良できないか考える。ダメだったら、何がダメなのかを子供にまた聞く。そして、そこを改良してさらに授業に掛ける。
こういう時、子供はとても優しいです。うまくいかなくても、「先生、どんまい。次は、これはどう?」と言ってくれます。子供たちを共同研究者にして授業を作っていく。これもまた実践家の醍醐味です。
*1 全生研(全国生活指導研究協議会)の代表的な実践家の先生でした。先生のご著書からは、学級づくりや生活指導について、実に多くのことを学びました。
*2 あっさりと書いていますが、この4つが分かって、この4つに対する対策を開発するには、約15年ぐらいかかっています。文章はまとめて書くことが多いので、このような書き方になります。しかし、そんな簡単に実践は進まないということです。
*3 「研究者は失敗できない。失敗しそうだったらその論文は書かなければいい」ともおっしゃっていたことを思い出しました。
今回のポイント
- 教師は、失っている説明する言葉をもう一度獲得する必要がある。
- 指導で行き詰まった時、直接、指導の対象の子供に聞いてみると良いこともある。
- 実践には時間がかかる。慌てずに確認しつつ確実に手掛ける。実践家の醍醐味を味わう。