- 自治でつくる学級づくり
- 学級経営
子どもたちと信頼関係をつくる目的
これまで学級の自治の実現は、教師の信頼関係を構築することから始まることを述べてきました。しかし、教師と子どもたちの信頼関係ができれば、学級が自治的な集団に育っていくのかといえば、そんなことはありません。教師の意図的な働きかけが必要なことは言うまでもありません。教師が子どもたちと信頼関係を結ぶには、さらに次の段階に進むための指導をしなくてはなりません。
学級集団の育成に関しては、この分野のパイオニアである河村茂雄が、ルールとリレーションの形成が必要であることを以前から主張しています*1。ルールとは、共有された行動様式であり、リレーションとはあたたかな感情交流のことです。ルールとリレーションの構築は、学級集団が成り立つ必要条件とも呼ぶべき学級生活の土台です。
子どもたちが学び合う学習も、子どもたちによる問題解決も、これらの土台がつくられた上での営みとなります。ルールとリレーションの未形成なところで交流すれば、傷付け合うなどの不適切なかかわりが起こり、集団内の安心感が欠如してくるので、学級集団全体の意欲が削がれ、教育活動が停滞してきます。そうなってくると自治的集団の育成どころの話ではなくなります。学級担任を拝命したら、まず子どもたちとの信頼関係を結び、そこに留まることなく(実際は、同時進行で)、学級生活の土台づくりを進めることが必要です。
しかし、ここで誤解してはいけないのは、ルールは子ども同士の間で守られるものであり、リレーションは子ども同士の関係性の在り方だということです。つまり、教師が守らせているうちは、ルールではありませんし、教師がつなげているうちは、リレーションではありません。ルールやリレーションが子どもたちの中で定着するために教師がすべきことが他にあります。そう、教師が子どもたちと信頼関係を結ぶのは、これをするためと言っても過言ではないと思っています。
それは、「しつけ」です。子どもたちがルールを守り、あたたかな関係を結ぶ前段階として、教師がそれらを子どもたちにしつけている段階があるのです。学級を機能させる教師は、学級の機能が向上するために「やっていはいけないこと」や「やるべきこと」をしつけているのです。それらが定着することで、ルールのリレーションが形成されるのです。みなさんは、子どもたちにしつけをしていますか。また、しているならば何をしつけていますか。
しつけとは
教育におけるしつけとは、広辞苑によれば、「礼儀作法を身につけさせること、また、身についた礼儀作法」のことを言います。みなさんは、しつけには、どんなイメージをもっていますか。昔のマンガでは、子どものお尻を叩くお母さんの姿がよく見られました。また、あの国民的アニメでも、頑固親父が息子を怒鳴りつけてしつけている場面がよく出てきました。どうも、しつけというと「厳しい」という形容詞が付随するようです。
これは日本に限ったことなのでしょうか。カナダの児童臨床心理学者デュラントは、しつけについて「しつけとは𠮟って叩くことでしかないと思っている親も大勢います」と指摘します*2。またさらに、「「しつける」というのは「教える」という意味なのです。「教える」ということは、達成したい目標を決め、そのために効果的な教え方を考え、それを可能にする方法を見つけることを基礎とします」とも指摘しています*3。また、森信三は、しつけ方において、「地位・年齢を越えて、自覚者の率先実行」を挙げています*4。つまり、しつける側が、まず自ら範を示すことを主張しているのです。日本だけでなく海外においても、しつけは、「厳しい」というイメージがありながら、効果的にしつけをしている人たちは、違った方法をとってきたことがうかがえます。
学級集団づくりがうまく行かない教師たちは、このしつけで失敗している場合があります。当然のことながら、子どもたちは私たちの思った通りには動きません。自分を成長させることや集団生活を送る上で、未熟なところがあります。だからこそ、様々なことを教えねばなりません。しかし、しつけの内容もしつけの方法も実はわかっていない場合があります。言うことをきかないから、叱りつける、または、諦めるといった態度では、必要なことが伝わるわけがありません。
私の見るところ、しっかりしつけをする教師としない教師がいます。また、前者でもどうもそれが集団の管理のためのしつけであり、それらが子どもたちのためになっていないように見えることがあります。子どもたちのために一体何をしつければいいのでしょうか。
先の森信三は、「家庭教育におけるしつけの三カ条」として、「祖父母や両親に対して、朝のあいさつの出来る子にすること」「祖父母や両親に呼ばれたら、「ハイ」と返事の出来る子にすること」「脱いだハキモノを揃え、立ったら椅子を机の下におさめること」を挙げています*5。
また、カリスマ経営コンサルタントして活躍した船井幸雄は、正しいしつけを「より自由に、より好かれ、より応援されるくせづけ」であると言っています*6。具体的には、「人に迷惑をかけないこと」「約束を守ること」「後始末をすること」「思いやること」などを挙げています*7。
これらに共通することはなんでしょう。私が新採用の時のことです。隣の学級を定年退職された超ベテランの講師が担任していました。その先生は、子どもたちに繰り返し繰り返し挨拶をするようにしつけていました。私はその徹底ぶりに、質問したことがあります。
「先生は、どうしてそんなに挨拶にこだわっておられるのですか?」
彼女は未熟な若手教師に穏やかにこう言いました。
「あのな、子どもたちは、社会に出たとき、人に愛されないと生きていけねえんだ。人に愛されるためには、先ず、挨拶だろ。」
私は、その言葉に衝撃を受けました。先生は、子どもたちが社会に出たときの幸せを考えてしつけをされていました。また、森も船井も、子どもたちが社会で幸せに生きるためのシンプルな原則を見抜き、そのためにしつけをしていたのです。それは、周囲の人から愛されることです。そして、その徹底したしつけを支えるエネルギーは、子どもたちへの深い愛だったのではないでしょうか。
みなさんは、子どもたちが幸せになるためのしつけをしていますか。子どもたちに深い愛を届けていますか。
*1 河村茂雄『学級集団づくりのゼロ段階』図書文化 2012
*2 ジョーン・E・デュラント セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン監修 柳沢圭子訳『ポジティブ・ディシプリンのすすめ』明石書店 2009
*3 前掲*2
*4 寺田一清『森信三先生随聞記』致知出版社 2005
*5 前掲*4
*6 船井幸雄『躾 いま一番大事なもの』ビジネス社 1998
*7 前掲*6
次年度の集団づくり戦略計画の作成はお進みですか。
心強い味方として「学級を最高のチームにする極意シリーズ」があります。私が基本的な考え方を示した理論編と、全国の気鋭の実践が実践編を書きました。実践家の皆さんには、その実践を支える考え方と失敗しそうなポイントとそのリカバリー法も示していただきました。従って、「その人だからできる」という域を超えて広く汎用性があることでしょう。
本シリーズのラインナップは、集団のセオリーに則って構成されています。皆さんのニーズのどこかにヒットすることでしょう。
学級集団は、どんなに良好な状態であろうともその殆どが4月後半から6月にかけて最初の危機を迎えます。
子どもたちがいろいろなメッセージを発してくる頃です。それを如何にうけとめてそれを彼らの成長につなげるかが危機を回避し、学級を機能させるポイントです。
最初の危機を乗り越え、2学期以降の経営が安定するためは、教師と子どもたちの個人的信頼関係を如何に築くかにかかっています。メンバーとの個人的信頼関係の強さが、リーダーの指導力の源泉となります。リーダーとの強い絆が、子ども同士の積極的な協働のエネルギーとなります。技術論だけでは、子どもたちは主体的に行動しないのです。子どもたちのやる気に火を付けるのは、個人的信頼関係の構築にかかっています。
学級はルールから崩れます。また、子どもたちのやる気に満ちた集団は、教師のパフォーマンスでも声の大きさでもなく、ルールの定着度によります。良い学級には、良いルールがあります。そのルールの具体と指導法がギッシリです。
本シリーズは、学級集団づくりの1年間の実践をまるごと見渡すことができます。しかも、理想像から始まるという極めて戦略的な構成になっています。さらに、学級づくりの定期点検ができるチェックリストがついて、定常的に同じ観点で振り返りができるようになっています。