- 赤坂真二直伝!教師のリーダーシップ
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社会人として必要な力
これまで比較的、学習指導要領サイドからテーマに迫ってきましたが、今回は社会的要請の部分から迫ってみたいと思います。
教え子たちの顔を一人ひとり思い浮かべてみてください。みなさんの愛する教え子たちは社会人としてうまくやっていけそうですか。「あの子は大丈夫だな」また、「あの子はちょっと心配…」など、いろいろだと思います。では、社会人として必要な力とはどんな力なのでしょうか。
平成18年2月、経済産業省では産学の有識者による委員会にて「職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」を3つの能力から成る「社会人基礎力」として定義づけました。 同省によると、企業や若者を取り巻く環境変化により、「基礎学力」「専門知識」だけでは、立ちゆかなくなってきている現状を踏まえ、それらをうまく活用していくための「社会人基礎力」を意識的に育成していくことが今まで以上に重要となってきているようです。
社会人基礎力の3つの能力とは、図1に示すものです。
アクションとは、前に踏み出す力のことで、主体性、働きかけ力、実行力から成ります。また、シンキングとは、考え抜く力のことで、課題発見力、計画力、想像力から成ります。また、チームワーク力とは、多様な人々とともに、目標に向けて協力する力のことで、発信力や傾聴力などの6つの能力からなります。これを見ると、まさに社会人基礎力はアクティブ・ラーニングでねらっている資質・能力と重なる部分が大きいように思います。一般社会で必要な力を、学校教育でもしっかり育ててほしいという次期指導要領の願いが見えます。
この3つの能力は、それぞれかかわり合って、基礎学力や専門的知識と往還し、社会に貢献していくと考えられます。これら3つの力は、どのような関係にあるのでしょうか。
チーム体験
近年は、「チームの時代」と呼ばれるようになりました。1965年生まれの私が子どもの頃は、高度経済成長の時代でした。大量生産が求められた時代は、人を一定の枠に当てはめて、それこそ「組織の歯車」のようにして動かすことによって生産性を高めなければいけませんでした。だから、社会から求められる人材は、組織の一員として、余計なことを考えず、余計なことを言わずに、上の命令に黙って従う力が求められました。
しかし、やがて社会にものがあふれるようになると、量から多様性の時代に移行していきます。みんなが同じことをやっている労働から、個人の独立性を大事にするようになりました。個人の自由度が、多様な商品を生み出す原動力になるからです。そのため、企業は個人の能力を評価する成果主義を取り入れるようになりました。
ところが、この成果主義は、今まで組織の歯車として働いてきた日本人には合わなかったようです。個人に成果を求めることによって個人への期待が大きくなります。すると真面目な日本人は、仕事にプレッシャーを受けるようになり、周囲のことはさておいて自分のことだけを考えるような人たちが出てきました。これによって、組織としてのまとまりが失われ、生産性を落とす企業も出てきました。
そういうなかで、企業が生き残るために選んだ戦略は、チームとして成長することです。ある課題に対して、チームみんなでアイディアを出し合い、解決していくようになったわけです。チーム力が必要になったのは、これまでの労働形態が合わなくなったからだけでではありません。世の中は複雑化、高度化し、そこで生起する課題もそれだけ、複雑化、高度化しました。その課題を解決するには、過去の解答例が適用できなくなってきました。すると、課題を解決するには、一人で考えるには手に負えないものが多くなってきたのです。すると、その場にいるメンバーでアイディアを出し合い、正解ではなく「最適解」を見つけ出す力が求められるようになりました。
この一人では解決できない課題を、力を合わせながら解決する力がチーム力で、そこで個々のメンバーに求められるのがチームワークを遂行する能力なのです。これからの時代は、組織に依存した受け身の生き方ではやっていけません。逆に、どんなに個人的に秀でた能力をもとうとも、他者と協力できないのではチームにデメリットをもたらしますので評価されません。つまり、前に踏み出す力や考え抜く力が意味を為すのは、他者の存在があってのことであり、それらの力を現実的なものにするのは、チームワーク力であるといえます。
チームワーク力は、これからの社会人に必須の能力と言えます。今、子どもたちに必要なのはチーム体験なのです。チームで成果を挙げるには、如何に個人の持っている能力を集団に開放できるかが勝負です。しかし、わが国の精神性は、チームで成果を挙げることに対して抵抗があるようです。そうした構造は、私たちの生活の隅々まで支配しています。
例えば、サッカーや野球などの選手起用を見ると、海外の場合は、どんなに年俸を獲得していようと、調子がよければ起用する、悪ければ起用しないといった原理で動いているように見えます。しかし、わが国では有名選手がスタメン落ちすると、「意外」とか「屈辱」とかと新聞の見出しに書かれます。大相撲で、格下が格上を破ると「波乱」と大騒ぎをします。それは、単に調子の良いものが勝ち、悪いものが負けるという極めて合理的な結果なのに、わが国の場合は、いちいちそこに物語性が付加されます。
こうしたメンタリティが大物、小物、格上、格下の階層意識を生み、また、それを維持し強化してしまっているのではないでしょうか。つまり、大物や格上が仕切る世界を容認してしまっているわけです。チームの時代と共に、カリスマ的なリーダーは要らないという主張を聞くようになりました。これも組織の在り方が異なってきたからこそ、そのリーダーの在り方が変わってきたのだと指摘できます。それにもかかわらず、わが国は、政治でも経済でもスポーツでもリーダーの言動に過剰に注目し、どこかでカリスマ的リーダーの出現を待っているようなところがあります。カリスマ的リーダーの出現を待つということは、受け身な生き方を象徴しているのではないでしょうか。自ら判断したり、自ら行動したりすることの放棄に繋がるメンタリティです。
こうした構造は、教育界にも見られることは言うまでもありません。学校の公開研究会を見ても、学校としてどう教育を創ってきたかということよりも、個別の教師がどういう授業をしたかに焦点が当てられがちです。研究会の成功も失敗も個人の仕事に帰されてしまうわけです。研究会が成功したように見えても、それは個々の教師の授業の成功への賞賛であって、学校としての取り組みへの評価になっているかどうかは疑問です。個人の能力や成果を集団に開放するような構造にしないと、ますます学校はチームという組織のあり方とかけ離れていくでしょう。
子どもたちに主体性を育てようと思うならば、まず、教師を含む大人たちが自らの主体性に向きあいそれを獲得するように行動することが求められそうです。
次年度の集団づくり戦略計画の作成はお進みですか。
心強い味方として「学級を最高のチームにする極意シリーズ」があります。私が基本的な考え方を示した理論編と、全国の気鋭の実践が実践編を書きました。実践家の皆さんには、その実践を支える考え方と失敗しそうなポイントとそのリカバリー法も示していただきました。従って、「その人だからできる」という域を超えて広く汎用性があることでしょう。
本シリーズのラインナップは、集団のセオリーに則って構成されています。皆さんのニーズのどこかにヒットすることでしょう。
学級集団は、どんなに良好な状態であろうともその殆どが4月後半から6月にかけて最初の危機を迎えます。
子どもたちがいろいろなメッセージを発してくる頃です。それを如何にうけとめてそれを彼らの成長につなげるかが危機を回避し、学級を機能させるポイントです。
最初の危機を乗り越え、2学期以降の経営が安定するためは、教師と子どもたちの個人的信頼関係を如何に築くかにかかっています。メンバーとの個人的信頼関係の強さが、リーダーの指導力の源泉となります。リーダーとの強い絆が、子ども同士の積極的な協働のエネルギーとなります。技術論だけでは、子どもたちは主体的に行動しないのです。子どもたちのやる気に火を付けるのは、個人的信頼関係の構築にかかっています。
学級はルールから崩れます。また、子どもたちのやる気に満ちた集団は、教師のパフォーマンスでも声の大きさでもなく、ルールの定着度によります。良い学級には、良いルールがあります。そのルールの具体と指導法がギッシリです。
本シリーズは、学級集団づくりの1年間の実践をまるごと見渡すことができます。しかも、理想像から始まるという極めて戦略的な構成になっています。さらに、学級づくりの定期点検ができるチェックリストがついて、定常的に同じ観点で振り返りができるようになっています。
クラスでは目立った問題が起きないけれども、仲もそれほど悪くないようだけれど
も、授業に活気が感じられない、素直に学習しているけれども、やる気があるように
は見えないというクラスが増えています。そこには、授業者である教師が見落としが
ちな問題が潜んでいることがあります。子どもたちのやる気を引き出し全員参加の授
業を実現するにはどうしたらいいのでしょうか。そのためのアイディアが満載となっ
ています。
アクティブ・ラーニングは,単なるペアがグループを活用した交流型の学習ではありません。そして,ただ学習内容に深く触れればいいわけではありません。そこには子どもたちの主体的に学び合う姿が必要なのです。子どもたちが,生き生きとかかわりながら学ぶ授業づくりの具体例を豊富に示しました。