- 勇気づけリーダーの学級経営
- 学級経営
1 あなたの教育を受けた子どもたちはどんな人になりますか
そう、問われたら、どのように答えますか。
教師はとにかく多忙です。そして、ほとんどの教師がその膨大の仕事を一生懸命やっています。その仕事に向かう態度は本当に尊いものですが、ともすると「やること」に関心が向けられ、その結果、つまり「どうなった」に、あまり関心が向けられないということがあるのではないでしょうか。具体的に言えば、日々の授業、生徒指導、学級経営をこなすことでいっぱいいっぱいになり、それによって子どもたちにどのような力がついたかをあまり考えないようなことが起こりがちです。
そもそも学校の教育目標や教育計画、グランドデザインの達成を評価したかという話をあまり聞いたことがありません。「毎年、学校評価の会議をやっている」という学校もあるかもしれませんが、それによって無駄を省いたり、焦点化したり、よりよいアクションを生み出したりすることが評価の目的です。出来たか出来ないかだけの反省会は、たとえ数値を出したとしても評価とは言えないでしょう。学校全体の体質として、評価を機能させることにあまり関心がないことが指摘できるかもしれません。こうした学校教育のあり方が、各教師、各教室レベルでも「やること」に過度に関心を払う文化を創り出している気がしてなりません。
一生懸命に取り組むことはとても尊いことであり、それを否定する余地などどこにもありませんが、教師という仕事を考えたときに、それだけでは済まされない部分があります。「こんなことをやった」「これだけやった」という思いは、自分から見れば、それは満足感や充足感を伴うすばらしいことですが、一方で、他者から見たときには、それは、自己満足や独りよがりになっていることがあります。学校教育は決して、教育好きの趣味や道楽であってはならないわけです。しかし、教師の満足感抜きによい仕事ができるとも思いません。やはりそこは、
教師の満足感を基盤としながら、その成し遂げた結果が子どもたちの利益になっているかどうかをしっかり見取っていく
必要があるでしょう。
教育という営みの成果を考えたときに、もっとも失ってはならない視点は、その目的です。教育の目的は、教育基本法に示されたとおり「人格の完成」です。それを受けて、私たちの国の学校教育は、全人教育を対象としています。つまり、「丸ごとの人」を育てているのです。だから、朝はいきなり授業を始めるのではなく、みんなで歌を歌ったり、カフェテラスで好きなモノを勝手に食べるのではなく、栄養士の先生が考えた献立による給食をみんなで食べ、清掃員さんに任せるのではなく、自分で使った教室を自分で掃除をするというようなことを教育活動として行っているわけです。
しかし、学校教育のシステムがしっかりとしてくればしてくるほど、枝葉が茂り、根や幹のようなものが見えなくなってくるように感じています。そうした印象を持っているのは、私だけでしょうか。特定の教科の研究校だからといって、その教科ばかり一生懸命やっている学校、そうかと思うと地域で研究会を持ち回りにしてそのたびに研究教科が替わり、落ち着いた学力形成が出来ない学校、研究会が近づくと特定の教科の時数が異常にふくれあがる学校、ICT教育の充実だと言って、機器を使用することが目的化されていたり、その方面の得意な先生だけの実践が先端化していったりする学校、学力向上の大義名分の下に子どもたちの楽しみにしていた行事をどんどん削減していく学校……挙げればきりがありませんが、バランスよく子どもたちの人格を育てるというよりも、大人たちの事情ばかりが見え隠れしているように思います。
学校は、本当に子どもたちの人格の完成に寄与しているのだろうか
と疑問が湧いてきます。
2 「つぎはぎ教育」になっていませんか?
教師が「やること」に関心を払いすぎると、その教師の実践する教育は、方法論重視の教育になり、どうしても教師主導になります。こうした教師の関心は、「国語の授業はどう流したらいいか」「朝の会では何をしたらいいか」「清掃指導はどうするのがいいのか」とやり方にとらわれがちになります。上述しましたが、やり方に関心を向けていると、子どもたちをどう育てたかというところまで、関心が向かなくなります。
本やセミナーなどで、新しい「方法」を学びます。本には、すごい結果が出ることを予期させるようなことが書いてあり、セミナーではすごい結果が出た事実を見聞きするわけです。そして、決まり文句は「誰でも出来る」です。すると、自分もそんなことが出来るのではと思い、すぐに試してみたくなります。そして、やってみます。その結果うまくいくこともあれば、うまくいかないこともあります。
うまくいったとしてもその結果は、やったらどうなったかという刹那的な結果であり、子どもの育ちとは異質なものです。ある方法をやってみたら、子どもたちが盛り上がった、スムーズに活動できた、漢字が書けた、計算が出来たといったことは、子どもたちの喜びを生み出していることは間違いありません。しかし、それはどちらかというと、子どもたちを盛り上げることができた、スムーズに活動させることができた、漢字を書かせることができた、計算をさせることができたという、教師寄りの喜びであることが多いです。一時的に、子どもたちは喜ぶかもしれませんが、
本当の子どもの利益とは、育ちとして表現される
ものではないでしょうか。刹那的な取り組みで、子どもたちは育たないことは、プロの皆さんならおわかりのことと思います。
また、方法論重視の方は、国語は○○式、話し合いは△△流、宿題は◇◇法のように、学んできたものを次々と教室に導入します。パーツパーツはそれぞれ考え抜かれた方法論ですから、それぞれはうまくいくかもしれません。しかし、そうした教育活動は、つぎあてみたいになっていて、ひとつひとつはきれいでも、それらを合わせてみるとなんだかよくわからないものになってしまっていることがあります。例えば、よくあるのが道徳や特別活動ではみんな仲良く、協力しようというメッセージを伝えているのにもかかわらず、教科指導では一人でがんばりなさいと、むしろ逆のメッセージを伝えてしまっていることがあります。そうした教育を私は
「つぎはぎ教育」
と呼んでいます。教師がよかれと思っていろんな方法論を導入していると、気付かないうちに、子どもたちをつぎはぎだらけにしてしまう場合があるのです。
学校の教育計画にもカリキュラムデザインが必要なように、教室レベルの実践にもそうした設計図が必要です。特に今後は、英語やプログラムミング教育、おそらくそのほかにも時代の要請に応じたナントカ教育がどんどん教室に降り注いでくると思います。このままでは、教室がつぎはぎだらけになる可能性がどんどん増すばかりです。教育を学校や教師の自己満足で終わらせず、子どもたちの人生の利益になるように設計していくためには、すべてを統合するような、また、つなぐようなハブとなる構造が必要ではないでしょうか。
そこで私が注目したのがアドラー心理学です。アドラー心理学は、2013年末に発刊された『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健、ダイヤモンド社)によって一気にその認知度を上げました。明治図書でも関係の書籍(佐藤 丈『勇気づけの教室をつくる!アドラー心理学入門』、など)が出版されているので多くの方がご存じかと思います。私自身は、前掲のベストセラーが発表されるよりもしばらく前にアドラー心理学に出会い、小学校の担任としての実践が、根底からひっくり返され、目が開かれるような思いをしました。
ところが、アドラー心理学は、かつては、教師よりも一般向け保護者向けの発信が多く、実は、教師による活用のあり方が曖昧であることも指摘されてきました。そこで、本連載では、
アドラー心理学の学校教育における適用
について述べていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
次年度の集団づくり戦略計画の作成はお進みですか。
心強い味方として「学級を最高のチームにする極意シリーズ」があります。私が基本的な考え方を示した理論編と、全国の気鋭の実践が実践編を書きました。実践家の皆さんには、その実践を支える考え方と失敗しそうなポイントとそのリカバリー法も示していただきました。従って、「その人だからできる」という域を超えて広く汎用性があることでしょう。
本シリーズのラインナップは、集団のセオリーに則って構成されています。皆さんのニーズのどこかにヒットすることでしょう。
学級集団は、どんなに良好な状態であろうともその殆どが4月後半から6月にかけて最初の危機を迎えます。
子どもたちがいろいろなメッセージを発してくる頃です。それを如何にうけとめてそれを彼らの成長につなげるかが危機を回避し、学級を機能させるポイントです。
最初の危機を乗り越え、2学期以降の経営が安定するためは、教師と子どもたちの個人的信頼関係を如何に築くかにかかっています。メンバーとの個人的信頼関係の強さが、リーダーの指導力の源泉となります。リーダーとの強い絆が、子ども同士の積極的な協働のエネルギーとなります。技術論だけでは、子どもたちは主体的に行動しないのです。子どもたちのやる気に火を付けるのは、個人的信頼関係の構築にかかっています。
学級はルールから崩れます。また、子どもたちのやる気に満ちた集団は、教師のパフォーマンスでも声の大きさでもなく、ルールの定着度によります。良い学級には、良いルールがあります。そのルールの具体と指導法がギッシリです。
本シリーズは、学級集団づくりの1年間の実践をまるごと見渡すことができます。しかも、理想像から始まるという極めて戦略的な構成になっています。さらに、学級づくりの定期点検ができるチェックリストがついて、定常的に同じ観点で振り返りができるようになっています。
クラスでは目立った問題が起きないけれども、仲もそれほど悪くないようだけれども、授業に活気が感じられない、素直に学習しているけれども、やる気があるようには見えないというクラスが増えています。そこには、授業者である教師が見落としがちな問題が潜んでいることがあります。子どもたちのやる気を引き出し全員参加の授業を実現するにはどうしたらいいのでしょうか。そのためのアイディアが満載となっています。
アクティブ・ラーニングは,単なるペアがグループを活用した交流型の学習ではありません。そして,ただ学習内容に深く触れればいいわけではありません。そこには子どもたちの主体的に学び合う姿が必要なのです。子どもたちが,生き生きとかかわりながら学ぶ授業づくりの具体例を豊富に示しました。
クラスは、係活動や当番活動などがばらばらに独立して機能するわけではありません。それぞれの活動が連動して学級を育てます。 いきいきとした活動性の高い学級集団を育てるためには、各活動を意図的に配置したデザインの質を上げることが大切です。学級で効果を上げている実際のシステムとその運用のポイントが豊富に紹介されています。
「クラスがまとまらない」という話をよく耳にします。今の時代は、まとめようとしてもまとまりません。子どもたちを一定の枠に入れ込む発想は、もう時代遅れです。子どもたち一人ひとりに、協力して課題を解決する力、つまり、協働力を育てるようにします。子どもたちのつながる力を引き出す指導のステップと魅力的な活動例が豊富に紹介されています。