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すべてのものは二度つくられる
主体的で協働的な学びを実現するためには、主体的であること協働とは何かということを、まず、教師自身がわかっていることが必要です。
世界的ベストセラー『7つの習慣』の中で著者のスティーブン・R・コヴィー氏は、「すべてのものは二度つくられる」と言います*1。万物は,知的な第一の創造があり、それから物的な第二の創造があるという原則から、目的の達成の構えを説いています*2。
これはそう理解に難しくない話です。私たちが使用しているペンと紙、毎日使用するスマホ、パソコンなど、全て物は一度私たちの頭の中で構想されてから、世の中に送り出されているのです。私たちが住む家、働く学校の校舎も一度、頭で構想されたものです。これは教育という営みにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。優れた合唱の指導者は、美しい歌声で歌う子どもたちの歌声のイメージを明確に持っていて、なおかつその指導過程も細分化した具体的な指導行動も頭の中に描かれていることでしょう。だからこそ、実際に指導ができるのです。
「主体的で協働的な学び」とひと言でいっても、教師が頭の中で具体的に学ぶ学習者をイメージできなかったら、恐らく実現はできません。アクティブ・ラーニングを実践し、成果をあげるためには、教師がアクティブ・ラーニングをしている学習者像を頭のなかでありありとイメージできることが大事でしょう。
言葉の意味からイメージを探る
指導要領の改訂時には、様々な「新しい言葉」がわき起こってきます。それらはわかるようでわからなかったりします。そこで、言葉の意味を探ってみたいと思います。
主体的とはそもそもどのような意味なのでしょうか。広辞苑第六版では、「ある活動や思考などをなす時、その主体となって働きかけるさま。他のものによって導かれるのではなく、自己の純粋な立場において行うさま」とあります。発信元の文科省は主体的な学びをどう説明しているかというと、「教育課程審議会の論点整理について(報告)」(平成27年8月26日)では「子供たちが見通しを持って粘り強く取り組み、自らの学習活動を振り返って次につなげる」ことといいます。こうしてみてくると、辞書的な意味からは、学習過程における子どもの意志決定がかかわることがうかがえます。また、政策的には、継続的に学ぼうとする意欲面が重視されているのではないかと考えられます。
では、次に、協働的な学びについて考えてみましょう。「教育課程部会 総則・評価特別部会(第9回)」(平成28年6月21日)で、学習指導要領改訂の方向性が議論され、そこでは、アクティブ・ラーニングが「主体的・対話的で深い学び」と説明されました。表舞台から協働が消え、その代わりに対話が押し出されているように見えます。しかし、もともと論点整理では、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」と説明されていました。定義が変わったのかと思われるかもしれませんが、論点整理のなかでアクティブ・ラーニングの視点の2つ目に、「他者との協働や外界との相互作用を通じて、自らの考えを広げ深める、対話的な学び」と示されているので、対話の中において協働が重視されていることは間違いないようです。ただ、この「言葉の入れ替え」が後々、実践のあり方に随分影響するのでは…と個人的には思っています。
さて、協働ですが、広辞苑第六版では「協力して働くこと」とあります。なんだか身も蓋もない説明なので、協力を調べます。「協力とはある目的のために心をあわせて努力すること」とあります。なんとなくイメージが出来てきたかもしれません。もう少し調べてみると、日本には古くからある概念ではなく、近年になって造られたものだという指摘もあります。働くという言葉からもわかるように、パートナーシップのあり方を表現しようとしている言葉のようです。デジタル大辞泉には、「同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと」とあります。少し、イメージが出来てきたのではありませんか。
そうなると気になるのが対話です。対話とは「向かい合って話すこと。相対して話すこと。二人の人が言葉を交わすこと。会話」とあります(広辞苑第六版)。これだけをみると「おしゃべり」と何が違うのかと思ってしまいます。論点整理の視点には、「他者との協働や外界との相互作用」とありますから、話すことだけに焦点化した辞書的な意味では不十分です。アクティブ・ラーニングにおける対話ですから、そこには時代の要請があろうかと思います。多田孝志氏は,グローバル時代の対話の機能を次のように説明します。「第一に、互いの情報を伝え合う「情報の共有(互恵)」、第二に、参加者が叡智を出し合って新たな解決策や知恵を生み出す「共創」、第三に、話し合うことにより相互理解や相互親和を深める「人と人とのかかわりづくり」」があると説明します*3。
このような説明をしてもらえれば、ある程度の実践経験のある教師なら、学習活動がいくつか思いつくことでしょう。多田氏の第一の機能で言えば、一枚の写真からわかることを個人作業で書き出し、それをグループで共有するようなことができます。第二の機能ならば、国語の詩の学習で、一連を参考にしてグループで話し合って二連を作る、などの活動が考えられます。
第一の機能と第二の機能は、小中学校においては、従来の授業とも親和性が高く、既に多くの教室で実践されており、さらにこれからも実践されることでしょう。高校でも直ぐに取り入れられていくことでしょう。意外と現場が苦戦するのは第三の機能かと思っています。
他者との協働には、良好な関係性が必須であるにもかかわらず、授業場面でそれをつくろうとすると「教科のねらいから外れている」と少なからず、異論が唱えられてしまう現実があります。一部の教師にとっては、教科の指導時間における良好な関係性の構築は、まだまだ余計なことであり、邪道ですらあるようです。しかし、その時間につくった良好な関係性が次の時間の良質な対話を生む可能性が大きいにもかかわらず、教科のねらいが、全てに優先されてしまうわけです。教科の授業である以上、教科のねらいは達成しなくてはなりません。しかし、アクティブ・ラーニングの授業では、関係性の構築も正当なねらいであり、それを達成することにも学習上の意味があるのです。教科のねらいを達成しないとまるでその授業に意味が無かったというような評価の仕方が問題だと言っているのです。
アクティブ・ラーニングをしている学習者は、課題を解決することの意味を自覚し、学習に高い意欲をもってかかわります。その解決の過程では、全ての学習者が対等に貢献することが望まれ、それを通して良好な関係性が構築されていきます。いかがでしょう。単に、グループ学習や交流型の学習をすることが、アクティブ・ラーニングではないことは直ぐにわかることでしょう。
どうでしょう。「主体的で協働的な学び」のイメージづくりに、少しはお役に立てたでしょうか。何かの参考になれば幸いです。
*1 スティーブン・R・コヴィー、川西 茂訳『7つの習慣』キングベアー出版,1996
*2 前掲*1
*3 多田孝志『授業で鍛える対話力』教育出版、2011
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