担任を15年間、教頭を16年間務めた後、退職までの3年間を極小規模校に勤務し、教頭と担任を兼ねることになった。それまでも、短期間担任を兼ねたことはあったが、年間を通じて兼ねることは初めてだった。管理職になってからは担任を通して子どもたちを指導してきたが、この3年間は直接指導するようになり、多くのことを学んだ。
1 担任ができる幸せ
1日中子どもたちと向き合えることが一番の幸せである。これが、担任を兼務して実感したこと。授業はもちろんのこと、生活指導も行う。人数は、3年間とも5名(3・4年複式)だったが、30人学級と同じエネルギーが必要だった。
また、これまで担任を通して指導していた、二分の一成人式、五色百人一首、オペレッタ指導、漢字スキル・計算スキル等も、自分で指導することになり、醍醐味を感じた。また、充実していた。しかし、本音を言えば、1年目は逃げ出したいほどの怖さがあった。また、やっていけるだろうか、という不安もあった。
担任を兼ねることが分かったとき、大きな救いになったのは、教頭になってからも授業力関連のセミナーに参加していたこと。また、サークルでも若手を対象とした模擬授業の指導を行い、16年目には新卒教員の指導教官をしたことも多少の自信になった。
二分の一成人式では、やんちゃな子どもが涙し、保護者も涙ぐむ姿を見ることができた。教頭として担任を指導していた頃とは達成感が違う。司会進行、手紙を書く、色紙を用意する、式次第を書く……。その一つ一つの指導が、私には尊いものだった。
子どもたちとの生活も同じである。休み時間に「吉川先生、遊ぼう」と言ってくる。それまでは「教頭先生、遊ぼう」だった。姓で呼んでもらえることでさえ、私には新鮮であり、喜びであった。また、けがをしたときも真っ先にやってくる。そして、子どもが早退したときに、家庭に連絡の電話をする。子どもたちと向き合っていることに幸せを感じた。
2 兼任による悩み(?)
担任をしている時間は、教頭の仕事ができない。そこで、休憩時間や少しの空き時間、そして子どもたちの一斉下校(16:00)後に、集中して教頭の仕事を行った。1年目は、慣れないことで遅くまで残ることが多かったが、2年目からはできるだけ18時までに学校を出るように努めた。来客や電話・メール等への対応がすぐにできないことが、一つの苦痛だった。机の上のメモを見て、授業の合間をぬって対応した。即時に処理できないことは、やむを得ないことだった。
また、教頭は校長や職員のために何かができることが中心だと考えていたのに、担任を兼務することで、逆に校長や職員に助けてもらうことが多くなった。これも、情けなくて苦痛に感じていた。1年目の終わりに、本気で辞職を考えていたほどだ。
もう一つ、私が担任することで、学級の子どもたちに迷惑をかけているのではないか、とも考え続けた。これについては、以前この学校に勤務していた関係で保護者や祖父母との面識もあり、また保護者の中に以前担任した子ども(今は母親)が複数いることもあって、私自身は安心して勤めることができた。
3 担任の思いを知ることができた
長年教頭をしていて、どうしてこの担任はこんなことをするのだろうとか、どうしてこんな失敗をするのだろう、と何度も思ったことがある。
自分が担任をしてみて、「そうか、あの先生は、このときに判断を間違えたのだ」とか、「このことを忘れていたから、保護者からクレームがきたのだ」と気づくことが何度もあった。それまでも、担任の立場になって指導してきたつもりだったが、実際はそうでなかったのだ。自分が担任の立場にいてこそ分かることがある、と実感した。随分厳しいことを言ってきたな、と反省している。今なら、もう少し優しく指導ができる。
今の職場では、私の他に2人の担任(教諭)がいる。2人とも優秀で、充実した仕事をしており、私も学ぶことが多い。お互いに、成功したこと、失敗したことなどを職員室で披露して学び合っている。自分が担任しているからこうして気楽に情報交換ができる。
4 「教えて、ほめる」ことで分かったこと
忘れ物が多い、負けを認めない、自分の思うままに行動する、注意されるとパニックになる……。近年、このような子どもに出会うことが多くなった。以前担任していた頃と同じ指導では、子どもたちが満足しないことを実感していた。
この3年間に担任している子どもは孫のような年齢なので(実際に、私には小学1年を筆頭に4人の孫がいる)、若い頃のように注意したり叱ったりすることはほとんどない。
また、注意することでパニックになったり、反抗的になったりすることも考えられるので、以前なら注意する場面でもできるだけほめるよう心がけている(ただし、命に関わるような危険なことや、いじめのような場合は別である)。
特に今年度は、TOSS代表向山洋一氏が提唱している「教えて、ほめる」ことを徹底した。子どもたちの行動はすべて認めるようにした。これには、なかなかのエネルギーが必要だった。また、疲れも半端ではなかった。それでも、子どもたちが落ち着いて学習や生活をしているのをみると、この方法がよいことが分かる。答えは、子どもたちが教えてくれる。ただ、6月までの3ヶ月間は、毎日が自分の弱さとの勝負だった。
五色百人一首を毎日のように行っている。子どもたちは、朝会の時間や空いた時間ができると、「吉川先生、百人一首やろう」と言ってくる。もちろん、私も「やろう」と即座に言い、すぐに始まる。子どもたちは楽しいのだ。また、負けを認めない子どもが認めるようになる。こんなよい教材はない。対戦中も、「すごい!」「早い!」「よく覚えているね」などと、子どもたちをほめる言葉がポンポン出てくる。
明治図書から発行されている『教室ツーウェイ』2012年8月号「特集 良いと思っている授業指導の“非常識”を衝く」の向山洋一氏、谷和樹氏の論文を読んでいただきたい。「叱る、どなる」指導では子どもが育たないことが納得できる。
奮闘されている様子を拝読し、まだまだだという自分を認識できました。
ありがとうございました。
この二つに改めて気づかされました。
相手の身になって考えることのできる人間になれるように
私も精進を続けます。
ありがとうございました。
コメントをありがとうございます。
長い間担任をしていなくて、1年目はとまどいもありました。
それでも、子どもたちや同僚・保護者・地域の方々に助けられ、3年目を迎えました。
初めは、1年間という期限付きだったのですが、事情により退職までの3年間となりました。1年目の終わりに継続することが分かったときは、マラソンのゴール寸前に「もう2周走りなさい」と言われたようで、面食らいました。それでも、向山先生の「ネバー、ネバー、ネバーギブアップ」を思い出し、ここまで来ました。
あと7ヶ月を全力で向かいます。ありがとうございました。